みなとみらいは昔、どんなところだったの?(後編)
ココがキニナル!
みなとみらいって昔はどんなだったんですか?(ハ毛さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
もともとは海だったみなとみらい。さまざまな施設、建物が誕生し、“世界のヨコハマ”の象徴として、未来を目指している
ライター:松崎 辰彦
さまざまな変化を繰り返すみなとみらい
(続き)しかし、当初の計画ほど土地利用は進んでいないようだ。最近では思うように売れず、「塩漬け」になっている土地もあるという報道もされた。
活用の進んでいない土地もある
こ のあたりの事情を横浜市都市整備局・都心整備・みなとみらい21推進部・みなとみらい21推進課で伺ったところ、「一気に開発が進むということはあり ません。段階的に開発を進めているところで、そうした中で街のにぎわいづくりなどを考えています」との回答が得られた。
横浜市都市整備局・都心整備・みなとみらい21推進部・みなとみらい21推進課
8月23日にははまれぽ記事「みなとみらいにできるアニヴェルセルの結婚式場の状況は?」でもとり上げた、懸案だったアニヴェルセル株式会社が計画していた結婚式場の景観論争が決着し、30年にわたる土地の貸し付けが決まった。
結婚式場建設予定地
みなとみらいは日々さまざまな変化を繰り返し、過去から未来に続いていくのであろう。
市民の原風景の中にあるランドマークタワー
最後はランドマークタワーの中に入り、本稿を終えたい。“世界都市ヨコハマ”の象徴を支える人たちに話を伺った。
「1980(昭和55)年に三菱造船所の移転が決定し、その後1983(昭和58)年に、跡地となった31ヘクタールの跡地のうち、20ヘクタールを買い受けました。これが当社がみなとみらい地区のプロジェクトに参画した第一歩です」
解説してくださったのは三菱地所株式会社横浜支店次長の佐野洋志さん。同じく総務課兼プロジェクト推進室副主事の阪口玲磨さんとともに、ランドマークタワー15階の同社で取材に応じていただいた。
阪口さん(左)と佐野さん
「20ヘクタールを得たことで、当社がみなとみらいにおける民間最大の地権者となりました。そして、最初の開発をするにあたり、みなとみらいを体現したものを創ろうではないかということになり、日本一の高さを持つビルの建設を構想することになりました」
ランドマークタワーの基本構想を発表したのが1988(昭和63)年。その2年後の1990(平成2)年3月に着工し、1993(平成5)年7月に竣工した。
最先端の街づくりを目指し、当時のみなとみらいを具現化していく第一歩なので、それにふさわしい商業施設やホテルを内包したシンボル性の高い建物になったとのことである。
建設中のランドマークタワー 1991(平成3)年11月25日
(横浜市史資料室広報課写真資料)
“ランドマークタワー”という名前は、三菱地所が命名する以前より、報道機関や一般市民の間で使われてすでに定着していたので、正式に採用したとのこと。来年で、竣工20周年を迎える。
ランドマークタワーにオフィスを持つことは企業の信用につながり、羽田に降り立った外国人ビジネスマンがタクシーに「ヨコハマランドマークタワー」と告げればそれだけで理解され、迷わずスムーズに到着するなど、ランドマークタワーのネームバリューは一般にも浸透している。
佐野さんは言う。
「ランドマークタワーが市民の方々の中に定着していることを実感するときがあります。横浜の風景をお子さんが絵にしたときに、ランドマークタワーを描いてくれたり、小さいころに展望台に上った経験のある方が、大人になってその思い出を語ってくださったりなど、市民の方々の原風景の中にランドマークタワーが位置づけられていると感じると、本当に嬉しいですね」
取材を終えて
みなとみらいの歴史を前編・後編の2回に分けてとり上げた。
前半では横浜の海岸沿いの一地域が埋め立てられて鉄道が通り造船所ができるまで、後編ではランドマークの完成から現在に至るまでを追いかけてきた。
いまや日本を代表する優れたウォーターフロントである「みなとみらい21」。これからも“世界のヨコハマ”のシンボルとして、多くの人々を迎え入れることだろう。
―終わり―
参考文献
『横浜みなとみらい21 ─創造実験都市─』(株式会社横浜みなとみらい21)
『みなとみらい21インフォメーション』2012vol.83
横浜市都市整備局みなとみらい21推進課・横浜市港湾局資産活用課・(社)横浜みなとみらい21
他
三菱地所株式会社横浜支店
http://www.mec.co.jp/j/branch/yokohama/
横浜市都市整備局
http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/
狸親父さん
2018年01月09日 21時01分
ジャックモールのトイザラスでオモチャ見て、マックでお昼食べるのが休日の我が家の定番でした。
いなれいさん
2013年05月30日 12時43分
横浜博覧会、中学の遠足で行きました。おこずかいは1,000円までなのに美術館には必ず行かなくてはならず、残りのお金で何するか、わいわい楽しんだ思い出があります。とても懐かしいです。ブルアちゃんかわいかったなぁ。
リキさん
2012年09月18日 10時45分
横浜博覧会の写真を懐かしく拝見しました。開会式(開幕式?)に当時小学生だった私は合唱で参加しました。そのときに着用した、お揃いの紙製の衣装はどこにいったのやら。