古城のような旧根岸競馬場のスタンド、補修計画の予定は?
ココがキニナル!
根岸森林公園にある旧根岸競馬場のスタンドなど補修保存の話はないのでしょうか?建ってからかなりの年月がたっているので放置していたら崩れる危険も。歴史的に貴重だと思うのですが(タッカーさん、WELLさん)
はまれぽ調査結果!
一等スタンドは将来的な活用を考えて検討中。補修には数十億円が必要で、まだ目処が立っていない。
ライター:松崎 辰彦
はるかかなたまで見渡すことができたスタンド
一等スタンドは、はるか彼方に三浦半島と東京湾を一望する眺めのよさだったとも伝えられている。かつては春と秋に競馬が催され、このスタンドに観客が押し寄せていたことを想像すると、まさしく「兵(つわもの)どもが夢の跡」の感がある。
現在このスタンドは、横浜の高台に立ち尽くす3人の巨人のような風体をさらしている。ツタ植物がまるで衣のように一人の巨人のほぼ全身を覆っていて、ヨーロッパの古城のような風情がある。
古城のような雰囲気がある
旧根岸競馬場は1942(昭和17)年10月の開催を最後に、閉鎖に追い込まれた。
当時は紛れもなく戦争中であり、閉鎖の理由としてこの地が横須賀軍港を一望でき、艦船の動きから航空廠(こうくうしょう)、工廠(こうしょう)、諸学校の実験、研究、演習まで海軍の動静を詳細に探知することが可能で、防諜(ぼうちょう)上無視できないこと。
さらにこの競馬施設はそのまま海軍の作戦のための通信連絡要務に利用できる条件を備えていたことという二点が挙げられている。
まさに“緑の巨人”
かくして76年間の歴史をもった旧根岸競馬場(1937〈昭和12〉年に「横浜競馬場」と改称)もその幕を閉じたのだった。
一等スタンドだけが残った
旧根岸競馬場はその後、海軍に買収され、一等スタンドも事務所として使用された。そして、敗戦。競馬場は1945(昭和20)年9月から進駐軍に占領される。
戦後はアメリカ軍に接収されていた競馬場も、1969(昭和44)年に大部分が接収解除され、日本政府に返還された。しかしスタンドの解除は遅れ、一等ならびに二等スタンドが接収解除されたのは1981(昭和56)年のことであった。
はるかにランドマークを望むこともできる
1987(昭和62)年に大蔵省(現:財務省)から横浜市に「市民の文化施設として使用すること」を条件に、建物とその敷地1万1,648㎡(横浜スタジアムのグラウンド面積の約0.9倍)が売却された。
その後、二等スタンドは老朽化のために解体された。
現在は一等スタンドだけが古色蒼然(こしょくそうぜん)と取り残されている。