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かつて三業地として栄えた新丸子の「へちま風呂丸子園」ってどんなところ!?

ココがキニナル!

かつて新丸子は三業地として栄えていました。そのきっかけを作ったのが「へちま風呂丸子園」だったそう。当時の新丸子は現在とかなりイメージが違い、芸妓がたくさんいる色っぽい町だったようです。(ねこぼくさん)

はまれぽ調査結果!

「へちま風呂丸子園」は1924年開業した料亭で、ヘチマ柄があしらわれたお風呂があった。新丸子三業地は1945年ごろをピークとしてにぎわっていた

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ライター:橘 アリー

三業地の名残を求めて



丸子園があった当時の面影は見つけられなかったが、新丸子三業地の名残りは残っているのか。
そこで、この地域に古くから住まれておられる方を探してみたところ・・・
 


ここの氏神様である「丸子山王日枝神社」の
 

道路を挟んだところにある
 

藤清材木店で教えていただけた
 

ご主人の藤枝重之さん


藤枝さんは現在80歳であるとのこと。
藤枝さんは「丸子園」があった当時は高校生だったので行ったことは無いそうだが、お父様は毎日のように行っていて、とても楽しそうな様子だったとのこと。

そして当時、「新丸子三業地」には多くの人がやって来ていて、とてもにぎやかだったそうである。
 


藤枝さんに、跡地の場所を聞いて行ってみると
 

『写真で綴る中原街道と周辺の今昔」に載っていた料亭通りの看板のアーチが(1975〈昭和50〉年)
 

現在は「八幡町共進会」という商店街のアーチとして同じ場所にあった
 

上の看板の料亭は、この通り沿いにあったようだ


そして、よく見ると、上の写真の右の電柱にある看板に!
 

前出した1975(昭和50)年当時の写真にあったものと

 
 

同じ店名の広告看板があった!!
 

続いて、三業地の跡地の中を歩いて
 

『写真で綴る中原街道と周辺の今昔』に載っていた呉服店の跡地に行くと
 

全く面影は無く、「TSUTAYA」が入っているマンションが建っている
 

三業地の面影がないか路地を歩くと、けっこうあちこちに「長谷川さん」の看板があった(赤丸のところ)


こうなると、長谷川さんに会ってみたくなる。
電柱看板にある矢印の案内を頼りに訪ねていくと・・・
 


残念ながら、お店はお休みだったが
 

お店横のご自宅で
 

長谷川さんにお会いできた!


長谷川さんも現在80歳で、お店の二代目であるとのこと。
お父様の代から、この地で質店を営まれておられるそうである。
藤枝さんと同じように「丸子園」があった当時は高校生だったので行ったことは無いそうであるが、「丸子園」があったころの三業地は、やはり、にぎやかだったそうである。

最後に「丸子園」の経営者が、大竹静忠氏なのか、大竹幾次郎氏なのかについて、藤枝さん・長谷川さん、そして川崎の郷土史研究会でも聞いてみたが、残念ながら、どちらの大竹さんが経営者だったのかは分からなかった。



取材を終えて



「大っぴらに書かれては困る・・・」
「名前は伏せておきますので・・・」
「・・・うん・・・まぁ、それだったら・・・」

ということで取材中に教えていただいた、名付けて“新三大・新丸子にまつわる噂話”をご紹介。

その1
多摩川沿いのどこかに、ベンツでしか入れないホテルがあるという伝説。
三業地があったころはお金持ちの旦那衆が遊びに来ていたので、“ベンツでしか入れない”というのは、その当時の名残りのようなものであろうか。

その2
東京の田園調布の有名なお金持ち(先生と呼ばれる人のようである)が、芸者さんに子どもを産ませたという伝説。その子が近所の学校に通っていたが、先生と呼ばれる人の子どもだけあって、とても頭の良い子だった。

その3
1991(平成3)年ごろまでは、新丸子に三味線の音が聞こえていた。
しかしそれも何時しかなくなり、三業地の芸者さんは、そこが無くなった後は、小田急沿線の中川温泉に移って行った者もあるそうだ。

現在の新丸子は、近代的なビルやマンションが立ち並び、東京にも近く都会的な雰囲気のする場所であったが、“ちょっとなまなましい噂話”を聞くと、人間らしい温かさを感じる。


―終わり―
 

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  • 写真の看板がある所は八幡町共進会のアーチのある交差点を丸子通方面(左)へ曲がった方にあった物であると思います。写真の左側の理容店と右側のお店(駄菓子屋)でご家族の使われる入り口が特徴的であったので良く覚えて居ます。八幡町側方はまだ二ヶ領用水が暗渠化されておらず家や店の出入り口の所に橋が架かってる状態でした。大きな木のある所は銭湯で「八幡湯」さんで奥に見える建物は上丸子小学校の校舎ですね。丸子通の今の北澤ジムさんのある辺りにかなり後年まで木の古い電柱が残っていて「丸子三業地」と書かれた看板がありました。少なくとも千草寮があった時代は残っていました

  • 丸子園の跡地は後のNEC千草荘、今のマンションのあるところですから上丸子八幡町ではなく丸子通1丁目ですね。

  • 新丸子の原住民です。看板アーチのモノクロ写真のときにはわたくしは小学生だったのですが、このころはまだ料亭も何軒か残っていて三業地のなごりがありました。そのころでも映画館が直前まで2軒ほどあったりヌード劇場(笑)もあったりしてそれらしいなごりも多かったのですが、バブル景気のころに一気にマンションになっていまのようなふつーの住宅街となってしまいました。いま現在強いてさがせば、ラブホが3軒あるくらいですかね(笑)

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