検索ボタン

検索

横浜のキニナル情報が見つかる! はまれぽ.com

  • 36年ぶりに完全復活「横浜銀蝿 40th」。オリジナルメンバーで再結成!
  • 神奈川県内の横浜家系ラーメン店がどこにあるか地図からすぐわかる!横浜の観光情報「よこはまっぷ」
  • イベント開催、店舗オープン、新商品発売などリリース情報を配信したい方へ
  • はまれぽ.comにあなたのお店・会社を無料で掲載しませんか?

衰退した三浦市三崎町の老舗酒店に泊まる「ゲストハウスプロジェクト」とは?

ココがキニナル!

三崎にゲストハウスをつくろうというプロジェクトが。泊まろうと思ったことはないけど、三崎には古い旅館があったり。交通が便利になった今、なぜゲストハウスを?(まさしさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

民間不動産業者が三崎町を活性させようと2015年10月に明治時代の酒店を利用しスタート。現在は「山田屋酒店」1件のみだが、今後に期待したい動き

  • LINE
  • はてな

ライター:やまだ ひさえ

昭和レトロな風情漂うゲストハウス「山田屋」



山田屋は、風呂とトイレなどを機能的にリフォームしたが、客室は古い形を維持している。簡易宿泊所として許可を受けているので、1日1組限定だ。共有だが客室は個室というスタイルになっている。

昭和レトロ漂う、雰囲気のある内部をご紹介していこう。
 


ゲストハウス入口
 

古き良き時代を偲ばせる入り口内部
 

重厚な木の開き戸が、昭和初期に建てられた母屋とマッチしている。
 


右が蔵、左が母屋になる
 

入ると直ぐに蔵の白壁が迎えてくれる。蔵は、簡易宿泊所としての許可は取れていないため、今後、1ヶ月以上の長期宿泊者向けに賃貸住宅として貸し出す予定だ。
 


石積みの壁が趣ある蔵の1階
 

蔵の1階には、宿泊客のためのテーブルが入る予定だそうだ。

2階は寝室。長期宿泊を想定した設備になっている。
 


そのまま使われている窓が良い雰囲気だ
 

太い梁もそのまま。蔵の歴史を感じさせる
 

次は、既に営業している母屋に行ってみる。
 


入り口横には、自炊用のキッチンが設けられている
 

ゲストハウスは、旅館やホテルと異なり食事が提供されない。その分宿泊料金が安くなっているため、自炊用のキッチンが必要になってくる。
 


2階の客室に続く階段
 

ゲストハウスのオープンに合わせ客室となる2階は、バス、トイレ部分は現代的なものに改装されたが、宿泊する部分は、建てられた当時の姿を残している。
 


2階の客室
 

客室になっている2階の和室は、2間続きになっている。
床の間のある部屋が10畳、手前が8畳だ。また、昭和初期の造りをそのまま維持しているので天井まで3メートル近くある。民家とは思えない贅沢さがある。
 


メインとなる10畳の和室
 

畳1畳分もある床の間。大きさも作り立派だ
 

障子や欄間にも建てられた当時のこだわりが残されている
 

簡易宿泊所という形態のため、客室は個室であることが求められる。

2間合わせて18畳もあるのに、宿泊できるのは1日1組限定だ。1人でも宿泊が可能だが、最大12人まで泊まったことがあるという。

1人なら1泊5000円(税別)、2人以上なら1人1泊4000円(税別)で、風情ある部屋を利用できる。個人でも、家族でも、グループでも、使い方も人数も自由なのが、ゲストハウス山田屋の魅力だ。



歴史と未来をつなぐ三崎活性化プロジェクト



三崎町はマグロの街、漁業の街だ。その歴史は大正時代にまで遡る。

現在の三崎公園付近に魚市場が出来たのは、1922(大正11)年のことだ。関東大震災の被害を受け、1929(昭和4)年に現在の場所に移転している。
 


現在の三崎魚市場
 

1950年代、冷凍庫を備えた冷凍船の登場で遠洋漁業が発達。三崎町は、全国のマグロ船の半分が水揚げをする日本有数の遠洋マグロの基地となった。

しかし、オイルショックによる減船に加え、「200海里漁業専管水域」が設定されたことで、操業できるエリアが限られたことによる打撃を受け水揚げ高が減少。三崎町の衰退が加速していった。

三浦市は、市としては神奈川県内でただ一つ、少子化や人口減少によって存続が危ぶまれる「消滅可能性都市」だ。そんな街に、なぜ、ゲストハウスという新たなスタイルを誕生させたのか、聞いてみた。
 


平日の三崎の街は閑散としている
 

倉橋さんは、元々、三崎町の食材や料理が好きで、よく遊びに来ていた。そこで目にしたのが、衰退を続ける三崎町の商店街だった。
 


シャッターが閉まった店も多い
 

閉店に追い込まれている店
 

実は、明治時代から続く老舗の山田屋酒店も、三崎衰退の影響を受けていた店の一つだ。

遠洋漁業の最盛期には、出航する船に酒を納めることで活況を呈していた山田屋酒店も、水揚げ高減少とともに売り上げも下降線をたどる一方。近年は、経営危機に瀕していた。

切羽詰まった状況の中で相談を受けたのが、三崎町で事業展開を初めていた倉橋さんだった。倉橋さんは、山田屋酒店を購入。歴史ある建物を維持しながら商売を存続さていく方法として考えだしたのが、ゲストハウスだった。
 


山田屋酒店の歴史を生かしながら新展開したのがゲストハウスだ
 

ゲストハウスの運営は、倉橋さんの会社、シー・エフ・ネッツが経営する「城ヶ島遊ヶ崎(あそびがさき)リゾート」が担当。酒店のほうも、統括マネージャーの鈴木さんが運営に携わっている。
 


城ヶ島遊ヶ崎リゾート(城ヶ島遊ヶ崎リゾートHPより)
 

「三崎という街は、100年近い歴史がある。古い街としての価値がある。しかし、その歴史が途絶えようとしている。今、活性化のための手を打てば、次の100年につなげることができる」

これが倉橋さんの考える三崎活性化プロジェクトのコンセプトだ。