横浜の名優、藤竜也さんを徹底解剖!
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横浜の名優、藤竜也さんを徹底解剖!
ライター:永田 ミナミ
そして俳優の道へ
―俳優になったあとの日活時代は、調布や田園調布に住んでいた時期もあるんですよね?
そうそう。最初は西戸部から通ってたんだけど、しばらくして調布にアパート借りてね。そのあと、だんだん遊ぶほうが忙しくなったので、多摩川田園調布にちょっと洒落たアパートがあったんで、そっちに移ったんです。
そのころは、それなりに現場で先輩の演技をいろいろ見たりしてね
でも見たって分かりゃしないんだよね(笑)。でも、とにかく何も分からなかったからさ、何とかしなくちゃいけないなっていう気持ちはあって、それなりにもがいてたね。ただ、もがいても遊ぶことは忘れなかった(笑)
―石原裕次郎さんともよく遊ばれていた時期ですか?
うん、裕次郎さんにはよくしていただいたね
―ホテルニューグランドのシーガーディアンⅡ(ツー)の新作カクテル「ヨコハマElegance」は、かつての「シーガーディアン」での石原裕次郎さんとの思い出についてのインタビューをきっかけに生まれたんですよね?
2015(平成27)年に誕生したカクテル「ヨコハマElegance」(1944円税込)
そうそう。そのインタビュー中に「横浜」と「エレガンス」っていう2つの言葉を話したんだけど、それをカウンターの向こうで太田さんていうチーフ・バーテンダーが聞いててね。終わるとすぐ、その太田さんが「横浜」と「エレガンス」という言葉を借りたい、その名前でカクテルをつくってみたいっておっしゃるから「ああ、どうぞどうぞ」って答えたんです。
そしたら、1ヶ月か2ヶ月後に連絡がきて「ヨコハマ Elegance」ができたから、ちょっと飲みにきて味をみてくれないかっていうことで行ってね。蘭の花びらが浮かんでいて見栄えはなかなかよかったんだけど、ひと口飲んで「太田さん、これ甘すぎる」って(笑)。それで甘みを少し減らしたんです。それでも僕にはまだちょっと甘いけど、人それぞれ好みがあるから。
「ヨコハマElegance」が生まれたカウンター席で太田さんにも話を伺った
―藤さんご自身は、シーガーディアンⅡではどういったものを飲まれるんですか?
僕自身はだいたいビールを飲んで、そのあとはドライマティーニだね。ただ誰かと行ったときは一応、1杯目に「ヨコハマ Elegance」をお勧めします。立場上ね(笑)
―ホテルニューグランドには、接収時代にマティーニに使うドライベルモットが手に入らずにシェリー酒で代用した「マティーニニューグランド」がありますよね。
あ、本当? それは知らなかったな。僕が飲むのはいわゆるドライマティーニです。まあ、ホテルニューグランドは結構、縁があってね。最初は、高校の卒業式のときに、あそこで、卒業ダンスパーティがあったんです。
正面の階段を上ると広いフロアがあるでしょ。そこでダンスパーティやったんです
―高校の卒業式でダンスパーティというのは素敵ですね。
同級生の女子生徒と、初めて見よう見まねで踊ってさ(笑)。それが最初だったね。そのあと数年して俳優になってからは、ときどき来るようになって。それから何年もの間、映画の仕事が1本終わるとホテルニューグランドに来て、昼間から飲んでたんです。そのころのシーガーディアンは、通りに面してたでしょ。
いまは洋品屋になっているところね。通りに面して座るとレースのカーテンがかかっていて、外からは見えないけどなかからは見える感じでね。仕事が1本終わるとそこに行って窓際に座ってさ。午前中の11時ごろからあいてたんだよ。カクテルなんかをつくってレストランにお持ちしてたんじゃないのかと思うんだけども、僕には昼酒飲むのにちょうどよかったので「お疲れさま」という気分でドライマティーニを飲んでたんです。
そのころは宮本さんていう名物のチーフ・バーテンダーがいらしてね。そんな時間に僕以外で飲んでる人なんていないから貸切状態でさ。
それで何かと話しかけてくれてね、縁ができたんです
―それ以来、もう約50年ずっと、行きつけのバーなんですね。
そうだね。宮本さんからいまの太田さんまでの3人のチーフ・バーテンダーはみんな知っているね。
―「先先代のころからいらっしゃってる」って、太田さんがおっしゃってました。
そうそう。この40年くらいで3人しか代わってないからね。ふつうホテルって部署が変わるらしいんだけど、ホテルニューグランドは、バーテンダーはもうずっとバーテンダーなんだよ。
横浜ホンキートンクブルースについて
―藤さんによって生まれたもの、広がったものとしてもうひとつ『横浜ホンキートンクブルース』がありますよね。あの曲の作詞をすることになったきっかけはどのようなものだったんですか?
ええと、エディ潘と僕の記憶がどっちが正しいのか分からなくなっちゃってるんだけど(笑)、僕の記憶だと、詞を僕が書いたのは、一時期、エディ潘やデイブ平尾や、ときに柳ジョージなんかと、チャイナタウンあたりでよく飲んでたころのある日のことでね。
その夜もいつものように飲んでたら、エディ潘に「ちょっとしたレストランで仲間とライブやるから」ということで連れて行かれてさ。そこは入ると奥のほうに4~5人でちょっとした演奏ができるようなスペースがあって、バー・カウンターがいちばん手前にある店で。僕はそのカウンターでライブを聴きながら酒を飲んでいたんだけども、途中で「お、これいいじゃん」と思う曲があったんです。
それが『横浜ホンキートンクブルース』だったんだよね
ただ、曲はいいけど歌詞があまり面白くないな、と僕は思ったわけ。で戻ってきたエディが「どうだった?」って聞くので「『横浜ホンキートンクブルース』は本当に感心したけど、ただちょっと歌詞がよくないなあ」って偉そうに言ってね(笑)
―そういうことだったんですね(笑)。曲のタイトルはもう最初からあったということですか?
うん、それはあった。で、こっちもお酒が入ってるからさ、コースターの裏か何かに「例えばこんなのどう」みたいな感じでワーッて書いて。そうしたらエディが「おお、面白いじゃないすか」みたいなことを言ってね。
でも、そこでその話は終わったんだよね
―ああ、その話はその場だけのことだったんですね。
そうそう。それで僕は音楽業界のことはまったく知らないし、人とのつながりもないんだけど、ある日、レコード会社から「歌をうたってくれ、シングル出したい」っていう連絡があって。まあ「踊るときには踊ろう」というのが僕の主義だからさ。「はい、分かりました」って返事をして出かけたら、見せられた曲が「横浜ホンキートンクブルース」なんだよ(笑)
―ある夜のちょっとした出来事が作品になったんですね。「ああ、あのときの」っていう感じでしたか?
そう。で、もう歌だけはよせばよかったのにって今でも思うんだけども、まあ当時はね、神経が元気だったから(笑)。そういうわけで、いま思うと恥ずかしいんだけど、その歌を歌ったわけ。東神奈川の「スターダスト」のジュークボックスには、たぶんまだ入ってるんじゃないかな。あそこはアメリカの音楽ばかりなんだけど、なぜか入れてくれてね。盤が割れてなければまだ入ってると思う。
ボタンを押したあと、ドーナツ盤が動いて針が落ちるのを待つ時間も一興である
まあそんなことがあったんだけど、そんなもの売れるわけもないしね。だいたい歌った本人が聞きたくないくらい下手なんだから、ほかの人も聴きたくないわけで(笑)。そうしたら、しばらくしてエディ潘が自分で歌っててさ。
それを聴いたらやっぱり上手いんだ。「おお、さすが」と思ったよ
―藤さんのほうが先だったんですね。
うん、僕のほうが早いと思う。そのうちに今度は原田芳雄さんとか、松田優作さんなんかが歌ってくれて。原田さんとは歳も同じで、20代のころはよく一緒に仕事してたから、ある日電話がかかってきて「バンドホテルでライブやってるから」って誘われて、最上階で聴いたよ。原田さんはバンドホテルでよくライブやってたらしくて。
―最上階にあったナイトクラブ「シェルルーム」ですね。
そうそう。まあ、あの曲はいろいろな人に歌われてきたよね
―バンドホテルは1999(平成11)年に閉館したあとすぐに取り壊されてしまいました。現在はドン・キホーテになっていますが、その右側にある築40年ほどの「丸善ビル」という古いビルに「YOKOHAMA HONKY TONK」っていう大きな看板があるんですけどご存じですか?
いや、それは知らないなあ。
―歌詞のなかに、ホテルニューグランドや、実際に横浜にあったお店の名前も出てきますね。
あの「オリヂナルジョーズ」ってのはね、後年関内のほうに移って、いまはもうなくなってしまったんだけども、もともとはチャイナタウンにあったんです。僕は関内のほうは2~3回しか行ってないんだけど、中華街のほうはよく行っててね。
まあオリジナルの「オリヂナルジョーズ」はね(笑)、チャイナタウンの正門の善隣門を入って、すぐ左側にあったんです。たしか平屋の、屋根もトタンに近いような感じでね。わりと大きな店で、椅子を取り払ったら、少し薄暗いダンスホールのような雰囲気だったかな。
メニューに、イタリア料理店としては京浜地区でいちばん古いって謳ってたね
―そうなんですね。(1953<昭和28>年創業。ちなみに麻布の老舗イタリアン「キャンティ」は1960(昭和35)年創業)
それで、店内はこう、ビニールの赤いベンチ・ソファがあって、テーブルにはイタリア料理屋らしい、赤と白のチェックのクロスがかけてあってね。そういう椅子とテーブルのセットがわりとゆったりとした感じで両側に1、2、3・・・6つくらいあったかな、僕の記憶では。まあ、そこによく行ってさ。
―「オリヂナルジョーズ」に行くようになったのは何がきっかけだったんですか?
最初は僕の叔母が、フェリスの英文科を出て英語を仕事にして、米軍関係で働いててね。そうするとまあ当然というか、ボーイフレンドが次々できるわけ(笑)。それで彼らがよく食べに行ってたのが「オリヂナルジョーズ」で、僕もよく連れて行かれたの。そのあと高校生ぐらいでときどき1人で行くようになって、この仕事始めてからは、何かっていうとそこに行ってたの。
―行きつけのレストランになったんですね。
まあ、女性と知り合ったら、たいてい横浜に連れてくるわけじゃない(笑)。それでそこに行って食事をすると、何となくかたちになるというかさ。
―おさまりがいいデートになるんですね。
そうそう。全部キャンドルで明かりを取っていて、雰囲気もよかったから
メニューには今で言うペペロンチーノもあってね。「オリヂナルジョーズ」では、アグリオイル(伊語「aglio olio」と英語の混淆か)って書いてあった。そんなものは当時めずらしかったし、ピザも六本木に1軒あったくらいでかなりめずらしかったからね。
まあそんなことで、ご当地ソングじゃないけども、自分がよく「オリヂナルジョーズ」に行ってて、そこにいささかの思い出があって。あとは自分はヘミングウェイがとても好きで、というふうに素直に書いたわけ。
―藤さんが歌っているバージョンは、途中に語りが入ってますよね。
やっぱり、俳優なんだよね。歌に自信がないから喋ろうっていう(笑)
―そういうことだったんですね(笑)。台詞の部分が入った歌詞が見つからなくて、ちょっと自分で文字に起こしてみたんですけど、最後のほうがちょっと自信がなくて、見ていただいてもいいですか?
(歌詞を見ながら)ああ、だいたいこんな感じだね。「革ジャン羽織ってホロホロトロトロ」っていうのはね、僕、俳人の山頭火が好きでさ。それで、山頭火の本もしきりに読んでてね。
あの人の酔う表現てのは「ホロホロトロトロ」なんです
―ああ、なるほど。
「フローズン・ダイキリ」は、ヘミングウェイの『海流のなかの島々』に出てくる酒でね。彼の行きつけの「フロリディータ(El Floridita)」っていうバーがキューバにあって、そこに行ったんです。カウンターの彼が座ってたところにちゃんと名前が書いてあってさ(2003<平成15>年に等身大の像が設置された)。
頼んでそこに座らせてもらって、ヘミングウェイが飲んだ「フローズン・ダイキリ」を飲んでね(ヘミングウェイはふつうのフローズン・ダイキリでは酔わなかったため、ラムを倍にして砂糖を抜いた特注を飲んだ。「パパ・ダイキリ」と呼ばれる)。
―歌の冒頭のほうで藤さんが「たとえばトム・ウェイツなんて」って歌っている部分は、人によっていろいろなふうに歌われていますよね。
そうだね。僕はもう何でも、どう歌ってもらっても全然、気にしないから
「たとえばブルースなんて」っていうのも、いつの間にかこうなってたのね。僕が「トム・ウェイツ」って書いたのは、これはね、下北沢にジャズ・バーがあって、ジャズ評論なんか書くようなちょっと有名な人がいたの。で、この人の店に行ったときに聴いたんだけど、なんでこの人と知り合ったかというと・・・いい? こんな話をだらだらとしても(笑)
―はい、もちろんです(笑)。続きをお願いします。
僕、遊ぶのが好きだって言ったでしょ。それでいろんなところでお酒を飲んでたんだけども、(新宿の)ゴールデン街によく行ってた店があってね。そこのオーナーとママが、少し経ってから下北沢に店を持ったというので行ってさ。そのときに聴いたレコードが、トム・ウェイツだったんです。
それで僕はすごくいい、格好いいと思ったんです。特にあの嗄れ声がね
そのときの印象が残ってて歌詞に入れたんだけども、まあトム・ウェイツが、あんまりね、日本ではポピュラーじゃないっていうかさ。それで、みんな「ブルース」って変えたりして歌ってるみたい。
―そうですね、みなさん思い思いに、たとえば原田芳雄さんは「B・B・キング」にして、その次の部分は「“吉本ばなな”なんかにかぶれちゃったり」と歌われていました。
ああ、いいんじゃない。ねえ。自由に歌っていいんだよね。うんうん、懐かしいな(笑)
―エディ藩さんも関東学院出身ですが、学生時代から交流があったんですか?
そういうわけじゃないね。僕のほうが少し学年が上だから。僕と同年輩だと、萬珍楼の社長の林さんがいたね。ただ彼は関東学院から、途中で山の上のセント・ジョセフ(・カレッジ)かどこかに移ったみたい。
高校3年くらいのときにちょっと気になる女性がいて、その子のお宅が鷺山(さぎやま)にあってさ。元町からちょっと本牧のほうにトンネルを超えた先の右側の山なんだけども、そこにときどき遊びに行ってたんです。
そのころ僕は荷台がついた自転車で、ワッシワッシワッシって漕いで上がってて
すると林さんがね、うしろからトライアンフの、2シーターのスポーツカーで来るんだよ(笑)
―高校3年生でトライアンフですか。それはすごいですね(笑)
こっちは荷台つき自転車でしょ。それを宝石のような車が一瞬で追い抜いていってさ(笑)。そんな、楽しい思い出があった。
参考資料「Triumph Spitfire MK3」(フリー画像)