横浜の名優、藤竜也さんを徹底解剖!
ココがキニナル!
横浜の名優、藤竜也さんを徹底解剖!
ライター:永田 ミナミ
YOKOHAMA MY SOUL TOWN
―若いころの横浜といまの横浜とを見て、思うことって何かありますか?
いやあ、すごくきれい。もう、みなとみらい感動。あんな素晴らしいところがわれわれの街にできたんだ!って感じで本当に嬉しい。飛行機で羽田に帰ってくるときなんかさ、高度が下がってくると、窓からみなとみらいが見えるでしょ。もう、感動しちゃうよね。
おお、マイ・ソウル・タウン! って感じで(笑)
―横浜の都心部は公園の配置など、都市のバランスがとてもいいですよね。
いいね。やっぱり港湾都市っていうかね、港から始まってますから。基本的に機能を中心として街ができているんですよね。つくりとしてのそういう一種の機能美があるから、だからひと味ちがうんだよね。
―藤さんが思う、横浜の良さや魅力はどのあたりにあると思いますか?
僕にとっては、振り返って思い出す故郷じゃなくて、ずっと住み続けてる場所だからよく分からないけども、おそらく横浜のいいところっていうのは「東京の隣にある」っていうことじゃないかな。それがいろんな意味で、横浜をいくらか個性的な街にしているというか、それぞれ良さがあって、お互いに相乗し合ってるんだと思う。ぽつんとどこかにあっても、横浜にはならないと思うんだよね。
―ああ、なるほど。たしかにそうかもしれないですね。いまの話を聞いて、これまで考えたり感じたりしていたことが、すうっと腑に落ちました。
あ、そう感じる? いいこと言ったでしょ(笑)
―はい、とても(笑)。幼いころからずっと住み続けていらっしゃると、もはや「横浜に住み続ける理由」というようなものを考えることもないのでしょうか?
うん、ないね。それよりも、東京に住む理由が逆にないんです。道がよくなっちゃったからね。僕がこの仕事を始めたころは第三京浜もなくて、多摩川の土手道を上流に向かって調布まで行ったわけです。まあ、相対的に車が少なかったからそれも可能だった。
それから車が増えはじめて、モータリゼーションが本格的になってくると第三京浜ができて(1965<昭和40>年全線開通)、その少しあとに東名が次々とつながって、首都高も横浜につながって。そうなるともう、東京に住む理由は全然ない。今日もそうだけど、車で帰っていって多摩川を渡るときは「おお、マイタウン」みたいな感じがするよね。
―ああ、みなさんおっしゃいますね「多摩川渡ると」って。
でしょ。だからね、それがむしろ素敵じゃない
それと、隣とはいってもちょっと離れてるから、酒飲むにしても遊ぶにしても、このごろはもう東京はちょっとね。酔っ払い運転するわけにもいかないし、横浜から出なくなって。そうしたら横浜に友達がたくさんできて、そうなるともう、やっぱり横浜なんだよね(笑)
―なるほど。以前テレビ番組でお話しされていた、町内のお友達とウオーキングで行かれる中華街の食べ歩きファイルは最近もお店は増えていますか?
最近は新しい店に臆病になっちゃって、昔からあるところに行っちゃうね。大きなところにはあんまり行かないし。このごろは特に、新しい店と古い店の入れ替わりがどんどん激しくなってるでしょ。最初は全部の店を征服しようと思ったんだけど、もう無理だね。ファイルも最近は書かなくなっちゃった。もちろん食べには行くけどね。
―藤さんは、中華街のお店でサインを頼まれたことはありますか?
ええとね、書いて、あとで破ったことある(笑)
―え、破っちゃったんですか(笑)
まあ、今はそんなにテレビには出てないし、僕なんかにはみんな気づかないからほとんどないんだけど、昔はよく頼まれるような時期もちょっとあってさ。そのときある店で書いたの。そこはね、美味しいんだけど愛想の悪い店で有名なんだよ。もっのすごく態度が悪い。めちゃくちゃに態度が悪い(笑)
―そんなにですか(笑)
例えば店の人が「早く注文して! ほかにないの?」って言うので「いや、もうこれで結構です」と答えるでしょ。すると「もうこれで最後よ! あとから注文だめね!」って怒鳴られて「はい、分かりました。よろしくお願いします」っていう感じ(笑)
最初に行ったときは、そんなふうじゃなかったから、頼まれて書いたんだよ。それで美味しかったから2回目に行ったらね、今言ったのが始まったわけ。
だからサインが貼ってあるとこに行って、剥がしてビリビリに破いたの(笑)
そしたら「何するんですか!」って言うから「これは俺が書いたんだ、俺が。この店には貼りたくない」って言って、それ以来その店には行ってない(笑)
―そんなことがあったんですね(笑)。何が有名な店だったんですか?
ええとね、麺類が有名。昔からの店でさ。今はまあ、もうだめだろうな(笑)。でも、あとはそんなにひどい店はないよ。・・・あっ、そうだ。最っ高のラーメンが食べられる中華料理屋が、こないだつぶれちゃったんだよ。
―どこにあったんですか?
ええと、ちょっと待ってね。あのね、路地に入ったところで、奇跡的にスープが澄んだラーメンなんだよ。
・・・あ、そうだそうだ、思い出した。「雲龍」だ
「澄んでる」っていわれるラーメンはよくあるけど「雲龍」のスープは格別でね。もちろん無色じゃないけども、本当にうっとりするような透明なラーメンで、それでいてほどよいコクもしっかりあって。麺の茹で加減も、チャーシューなんかのトッピングもシンプルで余計なものは載ってなくて、実に素晴らしいんだよ。
ピュアな中華蕎麦というか、いまどきのヘビーなラーメンとは一線を画す、いわゆる、僕らのいう「横浜ラーメン」でさ。その店がつい先日、2015(平成27)年の11月末に閉めてしまって。
―つい最近なんですね。
閉店の話を僕に教えてくれた人がいて、最後に食べに行けたんだけどね。何だかその区画にホテルを建てる計画があって、それでまあ、立ち退くことになったらしい。
そこは女性だけでやっててさ。シェフ兼オーナーが80歳の女性。すごいでしょ? そして、フロアにいる女性たちは彼女の娘さんたちと、あとお孫さんたち。テーブル3つか4つのこぢんまりとした店で、本当にあのラーメンは素晴らしかった。たぶん、これからも語り継がれていくと思う。味も人柄もね。
というわけで雲龍跡に行ってみた。貼り紙の余白には愛されていた店の証拠があった
「たくさんのおいしい料理ありがとう!」「おばさん元気でね」などの書き込みである
―最近は「横浜ラーメン」というと「家系ラーメン」と言われることが多くなってきていますよね。
そうだね。僕の友達で28~29歳の男の子がいるんだけど、ある日「雲龍」に連れてって「これが横浜ラーメンだよ」って言ったら「これは横浜ラーメンじゃありません! 横浜ラーメンは横浜家系です!」って言われて、へえ、そうなのか、と思ってさ。「まあ、いいんじゃない、君は家系で」って言って。
―藤さんにとっての「横浜ラーメン」は、あっさりとした中華そばに近い感じですか?
うん。僕が昔から食べている「横浜ラーメン」ていうのはね、鶏ガラと、それと返しだけですよ。
1991(平成3)年のイセザキ・モール
―では最後に、藤さんにとって横浜でいちばん印象に残ってる映画館というと、どこですか?
ええ、ちょっと懐かしいところでいうと、光音座かな。
―あ、昔の邦画専門館だったころの光音座ですね。
そうそう。もちろんオデヲン座なんかも印象深いけどね。僕が初めて映画観たのは、父親の肩車に乗って観た、ワイズ・ミュラーの『ターザン』で、観たのは長者町のあの角にあった、オデヲン座だったと思う。
きょうは、藤さんが見てきた、さまざまな時代の横浜の話をお聞きすることができて、本当に面白かったです。時代や街の変化を柔軟に受け入れ、楽しむ藤さんの横浜観も感じるところが多かったです。2016年もすでに公開予定の映画があるとのことで、今後のご活躍も期待しています。本日はありがとうございました。
インタビュー後に読者プレゼントのサインを書いていただいた
藤さん著の『現在進行形の男』(宝島社)も発売中である
2016年秋にはタナダユキ監督の映画『お父さんと伊藤さん』も公開予定である
公式サイト http://father-mrito-movie.com/
―終わり―
藤竜也さんのサイン色紙を1名様にプレゼント!
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撮影:山口敏尚<
デス男さん
2016年12月14日 09時17分
藤竜也さんもいいですが、オレは奥さんの芦川いづみさんが好きでした。30年くらい前(高校生の頃)、よく彼女の映画を名画座に見に行きました。しかし、藤さんはどうやって彼女を口説いたんだろう?当時の藤さんは彼女より格下だったので、結婚後しばらくは干されていたけど、日活のスターが不足して、まもなく(1970年頃)主役の座についていました。その頃の藤竜也さんは、渡哲也さん、原田芳雄さん、地井武男さんらと日活ニューアクションを牽引していました。
フミさん
2016年10月19日 11時53分
つい最近、藤達也さんの大ファンになりました。昔、愛のコリーダから、あまりにも自分が幼過ぎて理解できず最近、拝見しこんなに色気のある俳優さんと同時代生きてきて、気が付かなくてもったいなかったなと後悔しました。
荒法師さん
2016年07月02日 12時59分
大追跡とかも好きでしたが、何と言ってもベイシティ刑事。
放送当時四輪の免許取立ての18のガキで彼女に頼み込んでMA1のオレンジ色に黒のフェルトでHONMOKUGANGって縫い付けて貰い中古車の430セドリック乗り回して山下公園辺りで遊んでました。
今思えばコスプレでしたね。