横浜の「桜」がついている地名の場所に桜が咲いていない訳
ココがキニナル!
桜ヶ丘、花見台、桜台小学校、桜丘高校etc桜の木があってこその名称だと思うのですが、桜の木が消えてしまっています。行政は対処されることは無いのでしょうか?(giovanniさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
かつては桜の名所だったが、交通量の増大による通学路の安全確保や老木化による倒木の危険から伐採が進められた。並木道の復活は困難だが周辺には地名に相応しい花見どころがまだある。
ライター:結城靖博
地名の由来と往時の桜ヶ丘
保土ケ谷区区政推進課からもご教示をいただいて、諸々の資料を調べてみた。その結果はこうだ。
桜ヶ丘一帯は、町の発展のために1918(大正7)年から4度にわたり耕地整理が実施されたという。
耕地整理竣工記念碑がバス停・岩崎中学校前の横に建っている
そして、将来の桜の名所をつくるべく、1921(大正10)年に「桜の会」が組織され、耕地整理でできた道路の両脇になんと1000本の桜の苗が植えられたそうだ。
耕地整理後の桜ヶ丘一帯(『フォトアルバム 想い出の保土ヶ谷』より転載 資料提供:保土ケ谷区区政推進課)
上の写真の左側の一本道がまさに今の学園通りだ。撮影は1924(大正13)年ごろ。道路脇に桜の若木が連なっているのがわかる。このことから、いつのまにかあたりは「桜ヶ丘」と呼ばれるようになったそうだ。ちなみに、正式な町名としては、1940(昭和15)年に「月見台」「花見台」などとともに「桜ヶ丘」という名称がつけられることになった。
下は往時の桜ヶ丘の満開の桜の下での写真。おそらく昭和初期ではないかと思われる。
左奥に学校の校舎らしき建物が(『フォトアルバム 想い出の保土ヶ谷』より転載 資料提供:保土ケ谷区区政推進課)
そしてこれが昭和50年代の学園通りの満開の桜。トラックも学生服も時代を感じる。
1976(昭和51)年の学園通り(『フォトアルバム 想い出の保土ヶ谷』より転載 資料提供:保土ケ谷区区政推進課)
貴重な写真の転載許可をいただいた保土ケ谷区役所に深く感謝したい。だが、盛期の学園通りのカラーの満開写真はないものだろうかと、さらに調査を続ける。すると、思いもよらぬウエブサイトで、その写真に遭遇することができた。
日本共産党保土ヶ谷区役所後援会のホームページ。その「名所めぐり」コーナーに「桜ヶ丘尾根道」というページがあり、そこに色鮮やかな満開の桜があった。
後援会に問い合わせてみると、小沢睦夫(おざわ・むつお)会長が直々、「市民の皆さんのものだから」と言って、ホームページからのコピーなら可としてくださった。それがこの写真。
2012(平成24)年以前の学園通りの桜(画像提供:日本共産党保土ヶ谷区後援会)
ホームページからのコピーなので画質は粗い。それでもぜひこの記事に載せたかったわけは、前掲した桜丘高校から岩崎中学校側を撮った現在の写真と同じ場所、同じアングルだからだ。つまりこれが、「桜のトンネル」である。現状とのその違いは一目でわかるだろう。
なぜ、いつから、どのようにして桜は消え、そしてこれからどうなる?
学園通りから桜が消えた経緯と将来について、行政担当部署である保土ケ谷区保土ケ谷土木事務所に問い合わせてみたところ、丁寧な回答を書面でいただいた。その要旨は次の通りだ。
〇「桜がなくなったわけは?」
1999(平成11)年当時40本残っていたが、登下校中の児童と車の接触事故が発生するなど、桜並木が交通障害の原因になっていた(交通環境変化の要因は1995年に供用開始した藤塚インター)。
また、ほとんどの桜が樹齢80年を超え、倒木の危険も指摘されていた。
これらを背景に同年「桜ヶ丘学園通り交通問題検討委員会」が発足、意見交換を重ね、住民アンケートを実施した結果、「安全歩行空間確保のため」伐採やむなしとの結論に至った。
ただし、桜の景観維持のために道路以外の沿道公共スペースに桜を植樹している
・・・学校正門前の桜のことだろうか?
〇「最盛期の桜の規模は?」
最盛期は700本程度(神奈川新聞2007年11月17日の記事より)
〇「いつ頃から伐採を始め、今何本残っているのか?」
1999(平成11)年に樹木診断を行い倒木の危険のある7本を伐採。
2006(平成18)年に再度樹木検査を行い、当時確認できた残り31本のうち27本を伐採
2014(平成26)年に残っていた4本を伐採し、現在0本
・・・えっ、現在は0本!?
〇「今後桜並木が復活する可能性は?」
学園通りは藤塚インターに接続する道路なので、車両を一方通行にする等の交通規制は現実的には困難
・・・そのため桜並木復活の可能性は期待できないということだろう
どこかに、その名に恥じない桜の名所はまだないのか!
学園通り自体の桜のトンネルの再生は困難だとしても、この美しい地名に恥じない桜の名所が、この一帯のどこかにないのか?
そんな思いから、後日あらためて学園通りに訪れ、通り沿いをもう一度辿り直してみた。そして、ある場所で足が止まる。
学園通り前の花見台ハイツと花見台アパート。団地を縦に貫く道がある
そういえば、ここ花見台ハイツと花見台アパート付近だけは、団地の敷地内とは言え学園通りに沿って桜の木がいくらか列をつくっていた。
団地の前の案内板を見ると、団地内に児童遊園がある。もしかしたらそこに桜がないだろうか。
学園通り沿いにある団地の案内板
そんな期待を抱きながらその場所まで行ってみると・・・
児童遊園を包み込むように大きな桜の木が並んでいた
そばを歩いていた女性に訊いてみると、お花見シーズンにはこの公園の桜の木々が毎年見事な景観を見せてくれるという。
この公園を横目に団地を貫く道をさらに進むと、敷地の端が見えてきた。
団地の向こうには、なにがある?
そこには木々が茂る谷間が。ここは?
団地の向こうには大きな谷間が広がっていた。ここはどこだ? はい、保土ケ谷公園デス。
そうなのだ。花見台ハイツと花見台アパートは保土ケ谷公園に隣接する、まさにお花見絶景ポイントだったのだ。ここに住む皆さん、とくに保土ケ谷公園に面した棟の方々は、なんと贅沢な場所で暮らしていることだろう。
ここで迂闊な自分に気がついた。そうだ。学園通り周辺の忘れちゃいけないお花見スポット、あるではないか、目の前に。保土ケ谷公園を忘れてなんとする!
というわけで、保土ケ谷公園の桜事情を尋ねるべく、公園管理事務所に向かった。
県立保土ケ谷公園の今年のお花見事情
公園管理事務所で急な訪問にもかかわらず丁寧に対応してくれたのは、保土ケ谷公園園長の加藤岳二(かとう・がくじ)さん。
保土ケ谷公園の桜(ソメイヨシノ)の本数は、現在約250本。それは昨年9月の台風21号によるダメージも考慮しての規模だという。
お花見ポイントはいたるところにあるが、とくにおススメなのは公道沿いの桜並木と、保土ケ谷球場などのスポーツ施設がある側とは反対の「池流れ」の谷間の遊歩道とのこと。
公園の「あんないマップ」 桜の絵の箇所がポイント(提供:県立保土ケ谷公園管理事務所)
確かにあの台風では、一部の木の枝が折れたり倒れたりということもあったが、そうした被害よりも塩害によって葉が縮れるといった影響のほうが当初は深刻だったようだ。
けれども、桜は「休眠打破」といって、冬場の寒さに一定期間さらされた後花実が形成されるので、開花そのものに台風の影響はないという。
桜は冬が寒ければ寒いほど良い花が咲くそうだ。その意味では、今年はほぼ平年並みではないか、と。
一昨年の満開時の桜(提供:県立保土ケ谷公園管理事務所)
開花時期も今のところ3月下旬から4月初旬と、ざっくりとした予想だが、今咲き始めている梅が少し早めに開花しているので、もしかしたら桜も・・・と、加藤園長はおっしゃっていた。
加藤園長。「桜が見頃のころにまた来てください」と、にこやかに見送られた
取材を終えて
学園通りは高台の尾根道を走る決して広くはない道なのに、今や保土ケ谷駅方面と横浜新道・藤塚インターを結ぶ幹線道路になっている。
一説によれば、かつてこの通りに「むしろ」を出して庶民が花見をしていたこともあるという。そんなのどかな光景は、今ではとても考えられないような交通量だ。
ほんの短い一本の通りからも、横浜の時代の変遷が浮き彫りになる。そこから、時代の良し悪しではなく、生き続け、変化し続ける横浜という都市の息遣いを感じる。
ただ、保土ケ谷公園の満開の桜を観に行ったとき、ちょっと想像してみてほしい。市内最大規模の大岡川プロムナードの桜でさえ、500本だ。その数をはるかにしのぐ桜が、あの細い尾根道にかつて咲き誇っていた光景を。谷間の向こうの高台に、その道は今もある。
保土ケ谷公園側から「池流れ」の谷間を隔てて花見台団地を臨む
―終わり―
取材協力
◆保土ヶ谷区保土ヶ谷土木事務所
電話:045-331-4445
◆保土ヶ谷区区政推進課広報相談係
電話:045-334-6223
◆県立保土ヶ谷公園管理事務所
http://www.kanagawa-park.or.jp/hodogaya/parkcenter.html
◆日本共産党保土ヶ谷区後援会
電話:045-381-1713
◆株式会社三晃商会
電話: 045-331-1851
ふわおくさんさん
2019年03月31日 11時49分
栄養短大のOGですが、学校だけでなく、あの見事な桜並木も無くなってしまったことを知り、とても残念です。かつての校門から校舎に続く桜も、とても美しかったです。
たけし♪さん
2019年03月11日 12時49分
学園通り含めこの界隈は桜の木のみならず、電柱が邪魔です。早く地中化してもらいたいものです。
くてくてさん
2019年03月06日 11時25分
子供のころ(50年前)月見台の交差点からビール坂やかなざわかまくら道の坂道も桜の木がたくさん植わっていて桜のトンネルができていました。どちらの道もいまや数本しか残っておらず残念です。