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横浜港の歴史を振り返る「ハマの80年代を歩く」ツアーに参加してきた!

横浜港の歴史を振り返る「ハマの80年代を歩く」ツアーに参加してきた!

ココがキニナル!

横浜みなと博物館の企画展「港・ヨコハマの1980年代」と合わせ「ハマの80年代を歩く」というガイドツアーが行われるそうです。どんな内容なのか気になります(ハムエッグさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

1月13日までの企画展と合わせて行われたツアーでは横浜港のシンボルができるまでの歴史を詳しく知ることができた。横浜みなと博物館では横浜港の160年の歴史を知ることができる。

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ライター:はまれぽ編集部

横浜みなと博物館30周年記念企画展


 
そうこうしているとツアー参加者がロビーに集まっていた。
 


今回のツアーは定員40名

 
4つの班に分かれ、各班にガイド(横浜シティガイド協会会員)が付き、案内する。1、2班は「横浜みなと博物館」の企画展の後に日本丸メモリアルパークを見学(3、4班はその逆に見学)し、ゆかりの地巡りとなる。
 


チケットをもぎって入館!

 
このツアーでは学芸員さんによる解説付きで企画展を見学することができた。
 


横浜みなと博物館の学芸員。奥津憲聖(おくつ・のりまさ)さん

 
奥津さんは「はまれぽ」のファンだそうで、「終電を逃したシリーズ」がお気に入りのよう。いつもご愛読ありがとうございます!



この企画展は「港・ヨコハマの1980年代 横浜港のシンボルができるまで」と題し、1980年代に横浜港の新しいシンボルとして「日本丸」「赤レンガ倉庫」「横浜ベイブリッジ」が整備された経緯や当時の様子を紹介する。
主に8つのテーマに分けられており、当時の写真や関連資料など普段は目にすることができない資料が展示されている。

1)市民と港の接点をつくる
2)山下公園と大さん橋
3)みなとみらい21地区の計画
4)帆船日本丸の誘致
5)赤レンガ倉庫の保存・活用
6)ベイブリッジの建設
7)平成元年の横浜港
8)横浜港のシンボルは今
 


貴重な資料の数々

 
それぞれのテーマの概要はこうだ。


1)市民と港の接点をつくる

横浜開港120周年の1979(昭和54)年当時、横浜港は日本最大の貿易港であり、本牧ふ頭を初めとする横浜市の公共ふ頭は物流の港として機能を担っていたーー

当時、横浜市民の多くは横浜港に“客船の港”としての印象を抱いていたが、外国クルーズ客船の来航は年9隻にとどまり、市民の港への関心は薄れつつあった。

1977(昭和52)年から、市民に港への関心を持ってもらうための様々な活動が行われ、1980(昭和55)年に実施された貨物専用線での蒸気機関車の記念運行は市民が港に足を運ぶきっかけをつくった。

1982(昭和57)年には高島ふ頭や新港ふ頭を含む地域を再開発する「みなとみらい21」事業が港湾計画に反映され、横浜港に“市民に親しまれる港”としての機能が整備されていくことになる。
 


奥津さんの解説を熱心に聞く参加者

 

2)山下公園と大さん橋

1980年代初め、市民が港を身近に感じることができる場所は山下公園や大さん橋に限られていた。1961(昭和36)年、山下公園には氷川丸が係留され、その近くにはマリンタワーが開業。市民にとって同公園は定番の散策先であり、1970年代半ばには国鉄の桜木町、関内、石川町の各駅と同公園を結ぶプロムナードも整備されたーー


3)みなとみらい21地区の計画

1981(昭和56)年に公表された「みなといらい21」計画で、旧横浜船渠(きゅうよこはませんきょ)第1号ドックや「赤レンガ倉庫」の周辺は公園として再開発されることが決まったーー

 


1981(昭和56)年に計画の愛称を募集したポスター

 
「みなとみらい21」の正式名称は「横浜市都心臨海部総合整備計画」という、なんともカタすぎる計画名だった。ポスターのイラストはトリスハイボールのイラストを描いた、柳原良平(やなぎはら・りょうへい)さんが担当。
 


愛称の選考委員を務めた柳原さんが選考時に使用していた資料
 

柳原さんが書き留めた実際のメモ

 
2292点の応募のうち、応募の多かった愛称を分類したメモ。横浜市が選んだ196点以外の応募作から柳原さんが愛称の候補として選んだ5点を記したメモなど、貴重な資料があった。
ちなみに奥津さんの解説によると、「みなとみらい21」は最初、選考から外れていた案だった。柳原さんが選考から外れた案も見返した中にこの「みなとみらい21」があり、めでたく計画愛称となったのだそう。


4)帆船日本丸の誘致

1970年代に老朽化が進んで引退が見込まれた日本丸。1980(昭和55)年5月に神奈川県、横浜市、横浜商工会議所など25団体が参加する「帆船日本丸誘致保存促進会」が設立され、横浜誘致を目指す運動が始まったーー

 


練習帆船「日本丸」を横浜に保存する署名簿(実物)

 
1982(昭和57)年に「帆船日本丸誘致保存促進会」が集めたおよそ83万人の署名の一部
。この署名簿は公開日現在、常設室で見ることができる。

1983(昭和58)年8月には横浜への誘致が決定し、1985(昭和60)年4月からみなとみらい21のドックパークで一般公開が始まった。なお、パークの名称は同年5月に日本丸メモリアルパークに正式決定した。
 


日本丸の誘致に伴ったイベントの資料
 

帆船日本丸の模型

 

5)赤レンガ倉庫の保存・活用

横浜赤レンガ倉庫は1号倉庫と2号倉庫の2棟があり、2号倉庫は1911(明治44)年に、1号倉庫は1913年(大正2)年に完成。その佇まいから、テレビや映画の撮影地として人気があり、多くの観光客が訪れるようになったーー

 


1989(平成元)年に製作されたMM21地区関係倉庫群模型

 
再開発前の新港ふ頭の姿を記録するために製作された模型。新港ふ頭と大さん橋ふ頭が見事に再現されている。
 


ミニチュアの赤レンガ倉庫がかわいい!

 
テレビや映画のロケ地としても利用されたことで、多くの市民や観光客が訪れるようになった赤レンガ倉庫。その一方、倉庫の壁面に落書きが増加した問題もあったようだ。
 


外壁に落書きされてしまっている赤レンガ倉庫

 
また、1987(昭和62)年8月には夜の横浜の魅力をアピールするためライトアップが行われ、倉庫前の広場で初めてコンサートが行われた。1992(平成4)年には横浜市が倉庫の土地と建物を取得し、2002(平成14)年にリニューアルオープンした。
 


赤レンガ倉庫で行われたイベントの資料

 

6)ベイブリッジの建設

横浜ベイブリッジは1965(昭和40)に横浜市の六大事業の1つとして計画が発表され、1980(昭和55)年から首都高速道路公団による建設工事が始まった。貿易貨物量の増加に伴う市街地での交通渋滞を解消するためにも、建設は急務となったーー


ベイブリッジの建設工事は船舶の航行を妨げないように進められたため、必要な部分の多くはあらかじめ工場で造られ、架橋現場まで運ばれて行われた。

ベイブリッジ主塔の海面からの高さは172メートルで、1989(平成元)年の開通当時は横浜で最も高い構造物だった。また、大黒ふ頭側には歩行者専用の展望施設として「横浜スカイウォーク」が併設。横浜港の景観上のシンボルとなり、同時に横浜港を眺める場所として市民に利用されるようになった。
 


2018(平成30)に製作された横浜ベイブリッジの模型

 
2つの主塔から2面11段にわたり扇形に張られたケーブル。上下2層の道路が通るトラス形式の主桁(しゅげた)などベイブリッジの構造が正確に再現されている。


7)平成元年の横浜港

1989(平成元)年は横浜市政100周年、横浜開港130周年の節目の年だった。この年を祝うイベントとして1989(平成元)年3月25日から10月1日まで、みなとみらい21地区で横浜博覧会が開催されたーー




博覧会会期中、大さん橋には「客船クイーン・エリザベス2」が停泊し3月31日から6月3日まで洋上ホテルとして営業を行った。また、博覧会の開幕に合わせ、日本丸メモリアルパーク内に横浜マリタイムミュージアムが開館。日本丸と共に博覧会にパビリオンとして出展した。

横浜博覧会の開催により、みなとみらい21の再開発が新たな局面を迎える。同年、9月には大さん橋地区再開発計画懇談会による最終報告がまとめられ、大さん橋の大規模リニューアル計画が公表された。また、これとは別に横浜市建築設計協同組合も周辺の山下公園や象の鼻地区を含めた大さん橋の再開発計画を提案した。
 


横浜博覧会の会場模型

 
会場面積はおよそ69ヘクタール(69万平方メートル)。当時の会場へのアクセスは横浜駅からゴンドラとシーバス、山下公園から横浜博覧会臨港線(ディーゼル列車)、桜木町駅からは動く歩道が用意された。
 


横浜博覧会の資料写真を見つめながら話を聞く参加者

 

8)横浜港のシンボルは今

開港160周年の2019(令和元)年は、横浜港へのクルーズ客船の寄港数が過去最多の188回となり、横浜港は再び客船の港としての役割を拡大している。

みなとみらい21事業によって、日本丸メモリアルパークと赤レンガパークは“市民に親しまれる港”として整備され、日本丸や赤レンガ倉庫、ベイブリッジは市民が利用できる施設として横浜港のシンボルになった。