かつて南区六ツ川に温泉宿があったというが、当時の街の様子は?
ココがキニナル!
京急弘明寺駅から平戸桜木道路に出た所付近(六ツ川)に戦中戦後あたりに温泉宿があり、井土ケ谷界隈の芸者街からの利用のあったと聞きましたが、どのような街だったのでしょうか(しょうゆうさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
地図には温泉とあり旅館は存在したが、温泉宿という感じではなかった。周辺の様子は、街というよりは小川が流れる渓谷で、深い森に包まれていた。
ライター:永田 ミナミ
そして、すべてを知る人に会う
かつての小川の上を歩き平戸桜木道路に出て、定光寺にも話を聞いてみたが、やはり「聞いたことがないですね」という返事だった。すべてがわかるまであと一歩だがこのあたりが限界か、となかば諦めながら駅のほうへ戻ると老舗感のある不動産店を発見した。
ここ丸廣不動産で、話はクライマックスへと急展開するのである
店内にいらっしゃった杉山さんに調査内容を伝えると「ああ、ありましたね。そこで小学校の同窓会をしたことがありますよ」と話してくださった。55年ほど前の同窓会では旅館の縁側で同級生と写真を撮ったという。小川をわたって斜面を少し上ったところにあり、渡り廊下があったことも記憶されていた。
ただ、旅館の名前は思い出せないものの、大東温泉でも横浜温泉でもなかったそうだ。そして「もっと詳しく知っている方がいる」とある方を紹介してくださったのである。杉山さんに教えていただき、その方の自宅に伺うと、その方は突然の訪問にもかかわらず快く迎え入れてくださった。
すべてを知っていた山田さん
山田さんが六ツ川に移り住んだ当時、旅館はまだ営業していたが大きいものではなく、それほどにぎわってはいなかったという。六ツ川2丁目から3丁目一帯は農地だったが、1丁目周辺は、平戸桜木道路沿いには店が並んでいたものの、旅館の背後の山には家が一軒もなく、森に包まれていた。旅館の前を流れていた小川は町名の由来である「六ツ川」であり、山側半分が川でもう半分は人が通れる道になっていた。
やがて旅館があった土地が売りに出て、その土地を日産が購入し社員寮を建てたそうである。現在ではその寮もなくなり、マンションになっている。
調査を終えて
天然温泉だったかどうかは別として、六ツ川1丁目、現在の川崎信用金庫裏に旅館は存在した。ただし、周辺には民家はほとんどなく森が広がっていた。
井土ヶ谷駅から徒歩15分ほどなので訪れた人もいたかもしれないが、井土ヶ谷には当時、萬世閣という天然温泉旅館が存在したので(のちに銭湯となり97年廃業)、六ツ川まで来る人は多くはなかっただろう。
知っている人と情報の少なさ、旅館の名前を誰も覚えていなかったこと、また糸縄神社の手描きの地図に残っていなかったことからも、街というよりは森の中で渓谷に沿ってひっそりと存在した旅館だったようだ。
赤い橋が掛かっていたのは電柱のあたりだろうか
―終わり―
Sさん
2016年04月03日 19時28分
奥村組の社員寮が昔料亭のような営業をしていたと母が話していました
porfidioさん
2014年01月05日 21時25分
地元なので昔の地図が興味深かったです。山田さんも存じ上げています。このような情報は、とても貴重なものだと思います。
うーさん
2013年06月14日 13時40分
萬世閣の名前に懐かしくなりました。今はドラッグストアいわいが入っている建物の場所ですね。古い地図も面白いですね(^-^)