京急にも反町駅があった!? 二つの反町駅の歴史にせまる!
ココがキニナル!
昭和5年まで京浜急行には「反町駅」があったそうです。今の反町駅が出来たのは、京急よりもあとで、京急と東急二つの反町駅があった時代もあったとか。詳しく知りたいです。(ねこぼくさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
京急勃興期の駅の移動と改称の過程で1930(昭和5)年に消えていった反町駅。遺構はわずかに残っていて、市電と東横線とあわせて最大3つ存在した。
ライター:永田 ミナミ
反町駅のその後
さて、反町駅のその後を追ってみよう。
開業から10年後の1915(大正4)年には2代目横浜駅が現在の高島町交差点付近に開業する。
その10年後の1925(大正14)年11月には、国電や市電の「神奈川駅」との混同を避けるため、隣の「神奈川駅」が「京浜神奈川駅」に改称するが、反町駅は異常なしである。
ちなみにこの時点では「反町駅」は京浜電気鉄道のみである。この翌年の1926(大正15)年2月14日に東京横浜鉄道(東急東横線)の「反町駅」が開業すると「2反町駅時代」に入り、その2年後の1928(昭和3)年6月18日に市電(青木橋~東神奈川駅西口)が開通すると、ついに「3反町駅時代」が到来する。
1928(昭和3)年にはもうひとつ、3代目横浜駅が開業するというビッグイベントがある。そしてこの横浜駅の登場が、反町の運命を大きく揺さぶることになる。
3. 1928(昭和3)年10月15日
緑色の駅は東横線、国道上の青色の駅は横浜市電である
京浜電気鉄道は3代目横浜駅に早く乗り入れたかったが、開業時にはまだ駅前広場に国鉄京浜線の横浜駅仮ホームがあったため(地図最下部の水色部分)乗り入れられなかった。
そこで苦肉の策的な方法がとられることになる。横浜仮駅の設置である。
4. 1929(昭和4)年6月22日
現在の首都高下を流れる新田間川の月見橋手前までちょっぴり延長
まだ直接乗り入れはできないものの、せめて横浜駅への徒歩連絡をしやすくするために、できるかぎり横浜駅に近づけたわけである。この仮駅は「月見橋駅」とも呼ばれた。
しかし、仮駅は半年余でその役目を終える。ついに横浜駅への乗り入れが実現するのである。
5. 1930(昭和5)年2月5日
ついに念願の横浜仮駅~横浜駅間が開通する日がやってきた
1月26日に国鉄京浜線が横浜駅に乗り入れたことで障害物がなくなったため、さっそく横浜駅に乗り入れたのだが、京浜線の横浜駅乗り入れからわずか10日で横浜駅まで開通させるとは、なかなかのさっそくぶりである。
首都高をくぐり抜け月見橋の上を駆け抜ける2014年の京浜急行
この横浜駅乗り入れによって、京浜電気鉄道には輝かしい未来が開かれるのだが、その輝きの影で、今回の主人公である反町駅は、乗り入れのわずか1ヶ月半後にひっそりと姿を消すのである。
6. 1930(昭和5)年3月29日
反町駅は横浜寄りに移動し、青木橋駅と名前を変えることに
反町駅は現在の神奈川駅の位置に移設され、「青木橋駅」に改称されるというかたちで、その名を京浜電気鉄道の線路上から消すのだった。悲しいので上の地図ではうっすらと名前を残してみた。
ただ、廃止ではなく移設なので、反町駅の魂は青木橋駅に引き継がれた。と言いたいところだが、続けて起こる変化での青木橋駅の悲運ぷりには同情してしまった。
7. 1930(昭和5)年4月6日
初代神奈川駅が廃止され、青木橋駅が「京浜神奈川駅」に改称されるのだ
「横浜駅、青木橋駅、京浜神奈川駅の距離が近すぎ問題」が、京浜神奈川駅の廃止と青木橋駅の「京浜神奈川駅」への改称で解消されるのだ。青木橋駅の開業は3月29日、京浜神奈川駅への改称は4月6日である。「青木橋駅」の名前は、わずか8日で消えてしまった。
ただ、横浜、京浜神奈川、仲木戸間の距離はいい感じに調整された。そして反町駅のスピリットは京浜神奈川駅に引き続き引き継がれたことになる。というわけで、さらにうっすらとだが反町駅はまだ地図に残してある。
ちなみにこの5日前の4月1日には、湘南電気鉄道が黄金町~浦賀間と金沢八景~湘南逗子間の営業を開始しているが、横浜~黄金町間の鉄道開通は翌1931(昭和6)年12月26日まで、さらに品川~浦賀間の直通運転開始は1933(昭和8)年4月1日まで待たなければならない。
8. 1956(昭和31)年4月20日
京浜神奈川駅を「神奈川駅」に改称
それから26年後、京浜神奈川駅は羽田空港駅開業時に「神奈川駅」となる。これは1928(昭和3)年に国鉄神奈川駅が、1950(昭和25)年に東横線神奈川駅が廃止になっており、ほかに「神奈川駅」がなくなったためである。
また、1968(昭和43)年8月31日で横浜市電の六角橋~浅間下区間が廃止されるため、「反町駅」の名前は東横線のみとなり、今日に至る。
その後、神奈川駅は1971(昭和46)年に下りホーム側の斜面を削り、構内の曲線緩和とホーム延伸が行われ、ほぼ現在の状態となる。
関東の駅百選にも選ばれた神奈川駅の和風駅舎は1992(平成4)年に完成した
初代(京浜)神奈川駅のその後
最後に、青木橋駅に「京浜神奈川駅」の名前を譲って引退した、初代「神奈川駅」の跡地についても紹介しておこう。
反町駅のような遺構は残っていないが、線路と平行して走っていた道路がわずかだが不自然にカーブを描いている部分、ここに初代「神奈川駅」はあった。
地図上の赤い部分に初代「神奈川駅」があったのである
横浜駅へと向かい走る京急の左側の膨らんだ部分である
膨らんだ部分は現在、作業車両や倉庫のような建物のための敷地となっている
取材を終えて
京浜急行の反町駅は1905~1930年の25年間、横浜市電の反町駅は1928~1968年の40年間存在していた。そして東横線の反町駅は1926年から今日まで営業を続けているから、1928年からの約3年間は、3つの反町駅が同時に存在していたことになる。
かつて京浜急行(京浜電気鉄道)にあった反町駅の場所と、その場所に残されていた駅の遺構を見つけることができた今回の取材は、仲木戸駅高架の続編のようで面白かった。京浜急行にはまだまだ時代の足跡が残っていそうだ。これからは「囁き」が聞こえたらきょろきょろすることを誓い、何だかまた一歩鉄道ファンに近づいたような気がする冬の終わりであった。
―終わり―
参考文献
『京浜急行 電車と駅の物語』吉川文夫/佐藤良介著(多摩川新聞社 2001)
『京浜急行 赤い電車で半世紀』武相高校鉄道研究同好会編著(BRCプロ 2009)
『京急電鉄 街と駅の1世紀』西潟正人著(株式会社彩流社 2013)
『横浜の鉄道物語 陸蒸気からみなとみらい線まで』長谷川弘和著(JTBパブリッシング 2004)
『京急の駅 今昔・昭和の面影』佐藤良介著(JTBパブリッシング 2006)
『日本の私鉄 京浜急行電鉄』広岡友紀著(毎日新聞社 2010)
『横浜市電気局事業誌』多田純二編(横浜市電気局1940)
『横浜市電が走った街 今昔』長谷川弘和著(JTBパブリッシング 2001)
『今よみがえる 横浜市電の時代 ?あの頃の市電通りへ?』天野洋一&武相高校鉄道研究同好会著(BRCプロ 2007)
『市電廃止記念出版 ちんちん電車 ハマッ子の足70年』横浜市交通局編(横浜市交通局1972)
『東急の駅 今昔・昭和の面影』宮田道一著(JTBパブリッシング 2008)
『東急電鉄のひみつ』PHP研究所編(株式会社PHP研究所2012)
雲葉 @since1992さん
2017年02月18日 11時25分
昭和6年発行の地形図に場所が載っています。ご確認を。 http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/map/025.html
のぼさん
2016年08月16日 22時02分
京急反町駅が、滝野川より横浜側にあったという地元の方の証言を得ました。レポートでは「滝野川の向こうに、とても小さな輝く草原が‘……」で始まるくだりのさらに横浜寄りの踏切、そうです、『京急の駅 今昔・昭和の面影』87ページの写真の踏切です。踏切を渡って左に小さな空き地がありますが、つい最近までは、隣にある畳屋さんの作業場が建っていました。今は京急の資材置き場のようになっていますが、畳屋さんが土地を借りる前は駅があったとのことです。
いちろうさん
2014年03月07日 10時00分
神奈川駅と青木橋駅の関係は知っていたが、京急に反町駅が存在したとは知らなかった。京急好きとしては、とても濃い内容のレポート感謝します。