山一帯が墓域? 京急富岡駅前の山中にある墓所群と謎の史跡とは
ココがキニナル!
京急富岡駅東口を降りると、向かいにそびえる山。上るとたくさんの墓地や一軒家、畑のほか、Googleマップを見ると「経塚」という歴史的なものがあったり・・・。気になります(ねこみくさん)
はまれぽ調査結果!
山中に墓所群がある理由は、富岡の地形と江戸時代の村の状況にあった。ちなみに「経塚」は仏教の末法思想に基づいたタイムカプセルのようなもの
ライター:小方 サダオ
富岡の歴史について
次に金沢区の歴史に詳しい、以前八角堂の記事でお世話になった郷土史家の酒井宣子(さかい・のぶこ)さんに話を伺うことにした。
山のお墓については「このあたりは江戸時代に開かれました。半農半漁の家が多く、平地には田んぼが広がりその後は畑に代わり、今は住宅地になっています。上の山から水が流れてきて、ふもとで耕作をするのに都合が良かったのです。そのため残った土地といえる山の上にお墓を作るようになりました」
「持明寺、悟心寺(ごしんじ)、長昌寺(ちょうしょうじ)、慶珊寺(けいさんじ)、宝朱院(ほうじゅいん)などの寺の檀家の墓が山の上に立っています。江戸時代から檀家はお寺が決まっているのです」
富岡にある5つの寺院(青線)
悟心寺(ごしんじ)。創建は1620(元和6)年ごろに建てられたという
宝珠院。創建時期は天文年間(1532~1555年)、寛永年間(1624~ 1645年)など諸説ある
長昌寺。富岡を領有した柳下豊後守(やぎしたぶんごのかみ)が1574(天正2)年に創建したという
慶珊寺。1624年、富岡の領主の豊島信満(としま・のぶみつ)が創建したという
また経塚について伺うと「経塚はこの山の周辺にはいくつもあったようです」とのことだった。
山の南側にも経塚があった
江戸時代には漁業と農業を行う家が多く、平地が田畑で占められていたため山中が墓所にあてられたようだ。