埋め立てて創られた山下公園、その理由とは?
ココがキニナル!
山下公園は埋め立てられて造られた公園と聞きましたが、いったい何のために埋めたてられたの?(ともちゃんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
関東大震災の瓦礫を処分し、貿易都市から商工業都市へと転換する市の復興のシンボルにするためです。
ライター:内藤 春雄
関東大震災の瓦礫を埋め立てた
山下公園と言えば、市民の憩いの場のひとつ。
横浜港に面し、まさに港町ヨコハマの顔だ。
童謡でおなじみの「赤い靴はいてた女の子像」や「かもめの水兵さんの歌碑」、サンディエゴ市から寄贈された「水の守護神」などのモニュメントも多い。
赤い靴はいてた女の子像
水の守護神
かもめの水兵さんの歌碑
この山下公園、そもそもどんな理由で整備されたのだろう。
港の一部を埋め立てて造ったことは耳にしたことがあるが、その理由として思い浮かぶのが、観光に力を入れようと市が人気スポットとして造ったのではないかということ。なにしろ、休日ともなれば他県から訪れる家族づれや若いカップルも多い。
そこで、何か手掛かりはないかと公園内を調べてみたところ、レストハウス付近の案内板に公園の歴史が記されていた。
一目で歴史がわかる案内板
それによると、この公園は関東大震災の際に瓦礫を埋め立て復興のシンボルとなった、と書いてある。関東大震災は、1923(大正12)年9月1日に、相模湾沖80㎞を震源として発生したマグニチュード7・9の巨大地震のことだ。
野毛山からみた震災当時の市街地(横浜市史資料室所蔵)
横浜市がまとめた「横浜市震災誌」によると、全焼した市内の家屋は5万5千戸、全壊1万8千戸、死者・行方不明者2万3千人となっており、このとき倒壊した建物を山下町に面した海岸に埋めて処分したようだ。しかし、なぜ公園が復興のシンボルになったのか…不思議と言えば不思議な話である。