埋め立てて創られた山下公園、その理由とは?
ココがキニナル!
山下公園は埋め立てられて造られた公園と聞きましたが、いったい何のために埋めたてられたの?(ともちゃんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
関東大震災の瓦礫を処分し、貿易都市から商工業都市へと転換する市の復興のシンボルにするためです。
ライター:内藤 春雄
貿易都市から商工業都市へ
震災についての報告書をまとめ、事情に明るい横浜市史資料室の吉田律人調査研究員にそのあたりの事情を聞いてみた。
吉田律人調査研究員
「公園を整備しようという考えは、震災前から都市計画のなかにありました。しかし、なかなか実施されず、延びのびになっている間に巨大地震が起きたようです。そこで瓦礫を埋め立てる必要に迫られた行政は、公園の造成を決定しました」
造成を始めたころの山下公園(横浜市史資料室所蔵)
造成を進めるうちに震災復興のシンボルにしようと考えた横浜市は、開園5年後の1935(昭和10)年3月26日(~5月24日)に復興を記念し、ここで復興記念横浜大博覧会を開いた。博覧会は国外からも出品され、連日多くの来場者でにぎわったという。
なかには生け簀に入れたクジラも展示されたり、またプールにボートを浮かべて遊んだりと、かなり派手な博覧会だったようだ。
見せてくれた復興博覧会の案内図
沈床花壇は復興博覧会のときに造られたプールの跡らしい
取材を終えて
山下公園は、横浜が大震災の崩壊から完全に立ち直った証だった。
今では観光スポットとして県外の方からも親しまれているが、山下公園が復興のシンボルだったということを知っている人はあまり多くないだろう。
もし、山下公園に行く機会があれば、ぜひ復興のシンボルであるということを意識し、公園内を歩いてみてほしい。きっと、違った山下公園の一面が見えると思う。
他にも気づいていないだけで実は驚くような歴史がまだまだ皆さんの周りにあるかもしれない。
もし、なにかエピソードを知っている方がいれば、ぜひとも、はまれぽまでご連絡いただきたい。
―終わり―
ヨッチャンさん
2013年06月27日 11時04分
たしかに埋め立てとがれきが両立した場所でしょう。レンガや瓦礫の中には人骨も混ざっていたと聞きました、とにかく早く埋めたい行政が垣間見る出来事だったと携わった作業員に聞いたことがありました。
ushinさん
2012年10月21日 01時34分
横浜市民として、この話を知っているだけに、東日本大震災のがれき処理に関して、他県で揉めているのがちょっとピンと来ない。(そもそも東北の北の方で発生した分の震災がれきまで、放射能が心配だとか言って受け入れ拒否されるとかわけわからん)そんなことより、地元で海辺のかさ上げに使った方が、薄情な他県(神奈川も含むかな・・・)と押し付け合いするよりよっぽどマシでは?関東大震災時は、とくに煉瓦造りの崩壊建物が多く、不幸な歴史的事件であるもののあえて言うなら「埋め立て材」としては好適だったとも云えるかも。