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かつて港北区にあった百目鬼堀(どーみきほり)の名前はどこから来たの?

ココがキニナル!

昔、港北区新吉田町に鶴見川の支流があり、「百目鬼堀(どーみきほり)」と呼ばれていたそうです。昭和40年ごろに暗渠化され、現在は緑道になっています。何か言い伝えがあるの?(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

百目鬼堀のあった辺りには百目鬼という地名も残っていた。鬼にまつわる言い伝えではなく、川の水音を示す地名だった!

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ライター:田中 大輔

古来から恐怖の対象であり、悪の象徴とされてきた、鬼。
昔話の敵役と言えば鬼だし、現在でも“鬼ばば”や“鬼教師”のようにおっかない人を表現するのに使われている。

ただでさえ恐ろしい鬼だが、ましてやソイツに目が百個もついていたら・・・。
そんな恐ろしくて不気味な名前のついた“堀”が、かつて港北区にあったという。
その名も「百目鬼堀(どーみきほり)」。果たしてどんな場所だったのか。そして、どんな由来を持つ名前なのだろうか。



調査は出だしから難航



この「百目鬼堀」という曰くありげな字面に加え、読み方も「どーみきほり」と不思議で、いかにもなにか特別な理由の存在をうかがわせる名前だ。

ところがこの百目鬼堀、インターネットで探してみても、郷土史や地誌を扱った本をあさってみてもなかなか資料が見つからない。
『新羽史』という本の冒頭に“昭和初期に氾濫した百目鬼堀”と説明された写真があるので存在したことは間違いないのだが、場所も含めそれ以上の情報が見つからない。
 


中央図書館で必死に資料を探す。なかなか手ごわい


何時間も図書館にこもってようやく「百目鬼」と出会えたのは、古い地形図の中だった。
横浜市建築局のサイト上に公開されている昭和16年製版の図に「百目鬼」という文字が書かれていたのである。
 


バン! ようやく見つけた「百目鬼」の文字


しかし、これは堀の名前ではなく地名。
つまり、百目鬼という地名があって、そこを流れる川に百目鬼堀という名前が付けられた可能性が浮かび上がってきたわけだ。



いよいよ発見! 百目鬼堀の流れとは



とかく資料の乏しい今回の調査。
70年以上前の地形図から割り出した「百目鬼」なる場所に足を運ぶとともに、港北区の歴史に詳しい大倉精神文化研究所の平井誠二さんを訪ねた。
 


参考になるお話を今回も聞かせてください!


話題の場所は港北区の新吉田町から新吉田東にかけてのエリア。
東急東横線綱島駅からバスに乗り新田農協前停留所で下車。地形図が百目鬼としているのは、そこから北側に歩いた辺りだ。もちろん「百目鬼」という地名は現在では使われていない。

住宅のほか、小さなオフィスや町工場、そして畑が広がる町。
農業をしている年配の人なら地域のことにも詳しいはず。そう思い、畑で農作業に精を出していた地元のおじいさんに声をかけてみた。
 


大きな畑がいくつも広がる、かつての「百目鬼」地区


「かなり昔の地名だよ」。
百目鬼と呼ばれていた場所について聞いてみると、笑いながらそう答えてくれた。
百目鬼堀に話を移すと、こちらも「知ってるよ」と返ってくる。
「昭和30年か40年くらいに道路の下になっちゃったけどね」とキニナルにある通りの話。
今80歳くらいの人であれば、堀が暗渠(あんきょ)になったころは40代。当時のことはハッキリと覚えているようで、かつて川が流れていた場所も教えてくれた。
 


ついに百目鬼堀の場所を突きとめた! 青線が川の流れだ(Googleマップより)


この堀の位置については、82歳という別の男性からも同じ答えを聞くことができたし、平井さんの見せてくれた『新田物語』という資料に示された“百目鬼川”の場所とも一致していた。
この場所に件(くだん)の百目鬼堀があったことは間違いがないようだ。