多摩川河川敷に国内初のサーキット場があったって本当?
ココがキニナル!
川崎市中原区に「多摩川スピードウェイ」というサーキット場があったらしいのですが、どのようなものだったのか気になる(紀州の哲ちゃんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
なんとあの本田宗一郎も参戦していた国内初のサーキットでは、1936年に第1回レースを開催! たしかに多摩川河川敷に存在していた
ライター:ムラクシサヨコ
東横線多摩川-新丸子間。橋を通過する際、車窓から多摩川の河川敷で野球をする少年たちの姿がよく見える。
ここにかつて、二輪、四輪のサーキット「多摩川スピードウェイ」があったという。
サーキットといえば、こんなイメージ。本当に河川敷に?
多摩川の河川敷にレースができるようなコースがあったとは想像もつかない。確かめようと、現地へ行ってみると・・・
サーキットがあった形跡など見当たらない
多摩川河川敷にサーキットがあったというのは本当なのだろうか。
インターネットで検索してみたところ、2012(平成24)年から活動をしている「二輪文化を伝える会」の松島裕(まつしま・ゆたか)さんが多摩川スピードウェイについて詳しく調査をしていた。早速、松島さんにお話を伺うことにした。
3万人収容! 日本初の常設サーキット!
インタビューに応じてくださった松島さん
まずは松島さんのプロフィールから。保土ケ谷区在住で、オートバイ好きの会員が「ひとりでも多くの方々に日本のオートバイとその歴史について知っていただきたい」という思いで運営している「二輪文化を伝える会」の広報を担当している。
松島さん自身も趣味でバイクを楽しんでおり、かつてはライダーとして日本最大のオートバイレース鈴鹿8時間耐久レースに出場。元MFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)ロードレース国際A級という腕の持ち主だ。
レーサー時代の松島さん
そんな松島さんは長い間バイクに乗っていたが、多摩川スピードウェイについては、「まったく知らなかった」という。人を介して偶然多摩川スピードウェイのことを知り「こんな面白い話はない」と驚き、独自に調査を開始。
資料を集め、多摩川スピードウェイ関係者に会いに行き「多くの人に知ってもらいたい」とホームページで情報提供している。
二輪文化に関するさまざまな情報が!(同会ホームページより)
では、多摩川スピードウェイとは、いったいどんなものなのか。松島さんに教えてもらった。
「多摩川スピードウェイは、1936(昭和11)年ごろ、日本で最初に作られた常設のサーキット。1周1.2kmのダート(簡易舗装)オーバルコースで、3万人の観客を収容できたそうです」と松島さん。
この位置にサーキットがあった(地図提供:松島さん)
現在の鈴鹿サーキットは1周約5.8km。これには及ばないが、埼玉県にある川口オートレース場の走路が1周500m。1周1.2kmの多摩川スピードウェイは、サーキットとしては、決して小さいほうではないようだ。
『東横・目蒲電車沿線案内図』(1938年)にも「スピードウェー」が(真ん中あたり)