横浜の戦争遺跡はどうなってるの?
ココがキニナル!
横浜こどもの国 かつて陸軍弾薬庫だったそうですが、この名残を見ることはできるのでしょうか。また 浅野学園近くにも防空壕跡もあります、横浜の戦争の史跡を知りたいです(ばらさまさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
横浜こどもの国には今も地下壕があり、要望があれば見学会を開催している!
ライター:松崎 辰彦
ここ横浜にも、当時を物語る戦争遺跡が少なからず存在する。
京急新子安駅から歩いて数分の場所にある浅野学園。
その近くの道路を歩くと、コンクリートに鉄のプレートが埋め込まれた壁面が現れる。
新子安駅近くにある浅野学園
コンクリートの壁に鉄のプレートが埋め込まれている
プレートにはここが防空壕だったことが記されている
この場所がかつて防空壕だったことを、鈍い輝きが伝えている。1万人近い死者を出したとされる横浜大空襲が、今はコンクリートで封鎖された向こうの空間に、たしかに存在していたのだ。
防空壕を掘ったのは当時の浅野綜合中学校の生徒たちである。1943(昭和18)年、太平洋戦争が本格的になってきたときに生徒たちが防空壕作業をしていたことが、プレート文言の作成者でもある浅野学園教頭・出井善次氏の著書『私学中等教育の研究 戦時下浅野綜合中学校の事例』(2001 筑波書房)に記載されている。
本書には当時の学校教育が戦争の到来とともに変質し、軍事体制下に組み込まれていく過程が描かれている。
出井善次『私学中等教育の研究 戦時下浅野綜合中学校の事例』(筑波書房)
戦時体制下の生徒たち(浅野学園提供)