横浜駅西口「パルナード通り」の由来は?
ココがキニナル!
横浜駅相鉄口(南西口)からつづくパルナード通りは、横浜で一番混雑している繁華街だと思うのですが、愛称がついてるわりに、認知度が低い気がします。名前をつけた経緯とか知りたいです。(須々木さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
地元商店会の「地域を活性化させよう」という思いから、昭和56年に一般公募で決められた愛称だった。
ライター:石元 優
「パルナード」誕生の経緯
今回パルナードの歴史について話を聞かせてくれたのは、「横浜西口商和会商店街」の会長を務める菊池秀雄さん。岡野交差点近くで昭和2年創業の老舗和菓子店「千代田栗最中本舗」を経営している。
昭和2年に創業した老舗、千代田栗最中本舗
85年変わらない味を守る2代目
横浜西口商和会商店街には現在、パルナード通りを含む南幸2丁目、岡野1~2丁目周辺の約80店舗が加盟している。
菊池さんによると、「パルナード通り」という名称が誕生したのは昭和56年とのこと。ダイエーなど大型商業施設の出店が相次ぎ、一帯が繁華街として盛り上がりを見せてきたことから「通りに愛称を付けて、地域をますます盛り上げていこう」という気運が高まっていたのだという。
「自分たちの会(当時の名称は岡野南幸商和会)が中心になって、名称の一般公募をしたんだよ。新聞も使って通り名募集です!って掲載したの。その時に『パルナード』っていう名前が採用されてね。確か主婦の方が考えたものじゃなかったかな」と菊池さん。
名称決定を報じる当時の新聞記事
パルナードの“パル”は仲間、“ナード”はプロムナード(散歩道)の略で「仲良く連れ立って歩ける通り」という意味が込められているという。決定後には、ビブレの前にあるスペースで盛大に命名式も開催されたそうだ。
そこまでしてつけられた名称が、今なぜこんなに認知度が低いのだろう?
「昔は横浜駅西口を出てすぐの所と岡野交差点前に『パルナード』と書かれた2つの大きな看板があったんだよ。だけどその看板も防災上の理由もあって市から駄目だしが出てね。すぐ取り壊されてしまったから若い子達は知らないだろうね」と寂しそうな表情を浮かべる菊池さん。
当時から商店会のメンバーとして活動していた菊池さん
通りの環境も大きく変わった。パルナード周辺にあった個人商店のほとんどが土地を売ってしまい、当時から残るのは菊池さんのお店と残り数軒になったという。昔は行われていたという夏祭も今では廃止され、パルナード通りで行われるイベントは現在一つもないらしい。
現在はチェーン店が多くを占める通りの様子
「自分たちで決めた名称だから、もっと浸透させたい気持ちはあるんだけどね。まだ検討段階だけど、実は商店会のホームページを作ろうと思ってるんだ。その中で『パルナード』っていう名前を紹介すれば、若い人たちにも少しは知ってもらえるきっかけになるかもしれないからね」。菊池さんは最後に今の想いをそう話してくれた。
まとめ
当時の新聞記事によると、公募の際にはなんと約2万5千通もの応募があったという。その中から栄えて選ばれたにしては、認知度、露出度ともに何とも寂しい状態にある「パルナード」という名称。
時代の移り変わりを経て、愛され続けることの難しさを実感した今回の取材だった。横浜西口のメインストリートであるからこそ、その名称も含め、行き交う人々からより愛着を持ってもらえるような通りになってほしいと願う。
-終わり-
Michさん
2016年05月27日 08時14分
時代によって勝手な名前で呼んでると思います。「ナンパ橋の通り」「日進の通り」などなど。「パルナード」を浸透させるにはもっともっと宣伝した方がいい。
のんべえさん
2016年02月28日 03時35分
パルナード散策歴30年になろうかと思いますが、初めてパルナード名を知りました。広報というのは必要なのですね。
pomさん
2014年09月11日 18時30分
近所に住んでいたので名前は知っていました。岡野交差点にあった看板も覚えています。地元に住んでいればその看板を目にしていたはずなので案外認知度はあったと思いますよ(忘れている人は多いかも)。ただ地元の人でもあの通りを指す時は「ダイエー(ニチイ、ビブレなど)の前の通り」などと言っていました。当時から愛称を使う人は居なかったのかもしれません。