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横浜「1000ぶら」商店街探訪Vol.23 横浜最古のアーケード商店街、金沢文庫「すずらん通り商店街」の歴史ある商店へ

ココがキニナル!

横浜最古のアーケード商店街を見続けた半世紀以上続く「小田薬局」「シューズセキ」「遊とぴあKOBAYASHI」「三光商会」「京城苑」で話を聞き1000円で温故知新

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ライター:永田 ミナミ

「僕の贈りもの」



関さんから紹介していただいたのは、通りがかってキニナっていた、「これぞおもちゃ屋」という玩具店「遊とぴあKOBAYASHI」だった。
 


あっという間に日が暮れたため店名が見えにくくなってしまったが
 

一歩踏み込むとその名にたがわず
 

そこはまさにユートピアだった


今はほとんど見かけなくなってしまったおもちゃ屋らしいおもちゃ屋さん「遊とぴあKOBAYASHI」は、創業1953(昭和28)年ごろというから、60年以上の歴史を持つお店だ。
 


快く取材に応じてくださった小林京子(たかこ)さん


お母さんの糸子(いとこ)さんから京子さんへお店は引き継がれたが、糸子さんも今も日中はお店に出られているという。「最近の子どもたちはやっぱりゲームかカードですね。プラモデルだとか自分の手でつくる作業はあまりやらないみたい」とのことだが、今もお店には、そこかしこに胸躍るおもちゃの数々がならぶ。
 


ライター永田は「少年のように」はしゃぎながら店内を歩きまわり
 

「首輪のない犬」のように店内をうろつきまわり
 

「Oh! Yeah!」 と叫んでトミカの棚に飛びついた


7歳か8歳のころはミニカーを握りしめ、机の上にノートや筆箱で街をつくって縦列駐車をやってみたり交差点で譲り合いしてみたりしたものだ。378円という価格は非常にそそられるが、山岸から「買ったものは読者プレゼントにします」と言われ、悩んだあげく棚を離れた。
 


好きだったのは車がこういうフォルムの時代だからというのも理由の1つだ
 

ダイヤモンドゲーム! この箱は子どもの時に家にあったのと「きっと同じ」だ
 

世代論的にはポケモン前とポケモン後に分けられそうですよね


などなど興奮しながら店内を探しまわっていると、なわとびと、そこに貼られた「¥1480」「¥525」という2枚の価格シールを発見。京子さんにきいてみると「そのなわとびは大人用なので子どもには少し重いらしいの」ということで破格の値引きがされているとのこと。
 


奇跡の約65%オフなので読者への最初の贈りものはこれに決定


お釣りの475円を受け取り、続いて一文字書き初めをお願いすると「まあ、どうしましょう」と少し考えたあと、一歩ずつ進んでいければ、ということで「歩」という字を書いてくださった。
 


急に筆ペンと色紙を渡されても困りますよね。ありがとうございました


震災の復興もまだまだだと思うので一歩でも進めばという気持ちと、景気も実感があまりないのでもう一歩進んでほしいという気持ちも込めての「歩」。政府にはしっかりやってもらいたいものである。

京子さんも昭和30〜40年ごろの縁日のにぎわいが懐かしいと言い、当時のことは京城苑(けいじょうえん)という焼き肉店の方も詳しいと教えてくださった。

「ほんの少しの間だけ」戻った子どもの心に別れを告げ、われわれは京城苑に向かってまた雨の街を歩きはじめた。
 


「一枚の写真」


 


しかし方向を間違えていたらしく、商店街の入口まで戻ってしまった


そこで引き返すと、キニナル写真店を発見。アーケードがあったころの写真があるのではと思い、入ってみることにした。
 


傘を閉じて三光商会のなかへ


取材内容を伝えると「写真屋は、意外と自分では撮らないものでね」ということで、残念ながら昔の写真には出会えなかったが、お話を伺うことができた。
 


石田秀明さんも商店街の歴史について話してくださった


この場所は、最初は人に貸していて、その数年間はバーだったそうだ。その後、写真店を開業してからは54年、秀明さんで2代目というから、やはりここも老舗だ。
 


店内奥の壁の雰囲気には「ワインの匂い」が漂ってきそうなバー時代の面影も残る
 

棚にならぶ緑色のフィルムの箱。今となっては懐かしい風景でもある


アーケードのことについて聞いてみると、市が撤去する少し前には台風で一部が飛ばされたほど老朽化していたのだという。まだ、今もシャッター通りにならずに済んでいるが、かつては駅ビルの計画があったという話も聞くことができた。

駅ビル計画の話があったのは30年以上前で、土地の所有者や借主などが細かく分かれ複雑だったため難航していたところに、バブルが崩壊して立ち消えになってしまったのだそうだ。

お話を聞かせていただいた後、何か買えるものがないかと店内を見回すと、こんなものが目に入った。
 


何と単3が単1になる電池アダプター(300円)
 

写真店になぜこれを? と聞いてみると、「震災の時に懐中電灯に入れる電池が欲しいという人が多かったが、単1は品薄だった。それに比べ単3は比較的豊富だったという経験から、置くようになった」という。なるほど、まさに「こんなのほしかった」、「そして今も」いつ必要になるかわからない商品だ。これはいい、それに300円ということで、2つ目の贈りものはこれに決定。
 


最後に一文字書き初めをお願いすると、石田さんは少し考えてから左手に筆を握った
 

そして書いてくださったのは見事な「見」だった


左利きを理由に「輝」を山岸に任せたつもりでいた永田は、忸怩たる思いで石田さんの堂々たる筆運びを眺めた。「見」の字は、フィルムの時代が終わりつつあり、現像がプロの仕事ではなくなった現在の写真業界はもちろん、社会や政治を含めた情勢を「見」るということで選んだという。含蓄のある文字だ。

石田さんにお礼を言って店を出ると、われわれはいよいよ京城苑に向かった。