白楽駅の近くにお洒落でイケてる伝説の映画館があった!?当時の貴重な証言とともに徹底レポート!
ココがキニナル!
昭和30年ごろ白楽駅西口に「白鳥座」という映画館があったそう。遠くから来る人もいるくらい有名だったとか。どの辺りにあって、いつごろどういう理由でなくなった?(ねこぼくさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「白鳥座」は昭和26年に白楽駅前のドトールと静岡銀行がある所にオープン。プログラムのセンスがよく、多数の人が訪れたが、昭和47年ごろに閉館
ライター:松宮 史佳
白鳥座で働いていた人が登場!
白楽駅から徒歩10分ほどで女性宅へ。女性は「生まれも育ちも白楽」と語る三村さん。「お天気がいいので、近くの公園に行きましょう」とのお誘いを受け、公園へ。
オシャレな三村さんはなんと、84歳! 若々しい
三村さんは「よく白鳥座で映画を観ていた」とのこと。初めて観た映画は1957(昭和32)年公開の『喜びも悲しみも幾年月』と答えてくれる。
三村さんによると、『喜びも悲しみも幾年月』を観た時は「ものすごい並んだ」「映画館に人が入り切らず、立ち見だった」そうだ。
オードリー・ヘプバーン主演の『ローマの休日(1954年/米)』のプログラム
読み応えのある手作りのプログラムは人気だった(『黄昏(1953年/米)』)
名匠・小津安二郎監督の「東京物語(1953年/日本)」も上映
巨匠・黒澤明監督の傑作『七人の侍』も!
池のほとりで三村さんにお話を伺っていると、・・・当時の白鳥座を知る飯島さん&小林さんが偶然通りかかる。なんと、飯島さんは「白鳥座で勤めていた」らしい! ・・・まさに奇跡。
飯島さんは中学生の時に白鳥座でアルバイトをしていたそう。「当時は電車で新横浜からフィルムを運んでいた」「2巻ずつね」と貴重なお話を教えてくれる。
(左から)小林さん・三村さん・飯島さんの仲良し3人組
飯島さんによると、白鳥座の建物は円形でモダンだったそうだ。昭和20年代から30年代前半まで、娯楽といえば映画だったので「白鳥座はいつも混んでいた」と飯島さん。
上映作品は大体2週間ごとに変わっていたという。劇場内は学生や若い人であふれていたようだ。また、「(昭和30年代ころには)土曜日にオールナイトをやっていたんだよ」と教えてくれる。「一番前で観ていたなあ」と小林さん。
「白鳥座」についての思い出を語る小林さん&飯島さん
当時の(白楽の)様子を伺うと、「今とは全然ちがうのよ」「昔は夜店が出てすごいにぎわっていた」「人がすれ違うのも大変だったくらい」と三村さん。
「白鳥座」の近くには「紅座」という邦画専門の映画館もあったとのこと。
現在は駐車場になっている
正確な年は定かではないが、映画評論家の故・淀川長治氏のサイン会も「白鳥座」で開催されたことがあるそうだ。
三人に「いつ白鳥座が閉館したのか」尋ねると、「わからない」との答え。・・・やはり、一(いち)映画館の閉館した年を正確に覚えている人はそういないだろう。
貴重なお話を聞かせてくださった三人にお礼を言い、立ち去ろうとすると・・・「(白鳥座のことを知っている人を)一緒に探しましょう!」と三村さんが言ってくれる。
「では・・・」とお言葉に甘え、一緒に白楽を大捜索することに!