戦時中の軍施設が残る東京湾唯一の無人島「猿島」を徹底レポート!
ココがキニナル!
横須賀の無人島猿島のレポートをお願いします。戦時中の軍施設が残っていて雰囲気があるのですがちょっとオバケが出そうな気も。(たこさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
レジャースポットとして人気の猿島は、重要な歴史的遺跡がある島でもあった。オバケが出るかどうかは不明
ライター:山崎 島
いよいよ島の奥へ。急な坂の洗礼を受ける
では、さっそく島をぐるりと一周してみることに!
猿島マップ(※クリックして拡大)。「現在地」から島を一周していく
小躍りする山崎
切通しの向こうにレンガが見えてくる
これですこれ
兵舎や弾薬庫が並ぶ通り。レンガが「フランス積み」という小口(短い辺)と長手(長い辺)が交互になっている、手間がかかりなおかつ仕上がりが美しいといわれている積み方で積まれている。これはかなり貴重な建造物なのだそう。ガイドさんに頼むと中へ入れるそう。
1947~8(昭和22~23)年に撮影された写真(横須賀市埋蔵文化財報告書第11集より転載)
これが噂のフランス積み
兵舎の窓。いい窓
ここは空気がひんやりしている
1955(昭和30)年の航空写真。切通しが筋になって見える(横須賀市埋蔵文化財報告書第12集より転載)
弾薬庫入口
塞がれていると、余計キニナルんだなあ
しげしげと眺めていたここはトイレだったのだそう
ところどころ劣化した箇所はあるもののきれいに残っている明治時代の建物。この要塞は島の外からは見えないようになっている。
突如現れるフランス積みのトンネル
別名、「愛のトンネル」。暗すぎて「きゃー怖い」と男女がこの中で手をつないで愛が芽生えることが由来らしい。「うまいこと言うよね」と編集部・山岸。
中は真っ暗
目を凝らすと階段が見えた
この猿島砲台跡であるトンネルの西壁内側には地下施設があり、アーチ状の開口部は2階と西側斜面へあがる重要な連絡通路だったよう。地下施設は元弾薬庫だったのだとか。
テラスの2階に展示されていた弾薬。大きい
トンネル終点。振り返るとこんなに長い
このトンネルには、ところどころアーチ状の開口部、窓がある。全てのものが何かしらの目的をになっていた建物、厳かな佇まい。
江戸時代、幕府が外国船の東京湾侵入を防ぐために砲台を築いたのが、猿島要塞の歴史の始まり。それから終戦まで、一度も使用されたことはなかったが、日本を守る島としての歴史を歩んできた。戦後は一部アメリカ軍に接収されていたが、1995(平成7)年に国から横須賀市が島の管理委託を受けることに。それ以降、観光地として一般人に開放し、現在に至る。
昭和時代に設置された高角砲の跡
破壊された高角砲。1947~8(昭和22~23)年撮影、終戦直後の写真(横須賀市埋蔵文化財報告書第11集より転載)
トンネルを抜けると砲台跡が。どれも島の外からは見えないが、中からは見晴らしの良い場所にあった。大正・昭和時代に猿島に設置された高角砲は6つ。対空用の大砲。
島の横浜側にある日蓮洞窟へ向かう。