横浜開港の歴史に触れる旅。はま旅Vol.20「戸部編」
ココがキニナル!
横浜市内全駅全下車の「はま旅」第20回は、昔の横浜の面影が残る戸部駅。横浜開港の歴史に触れることはできるのか!?
ライター:橘 アリー
今も守られている・・・
「横浜道」を中区方向へ進んで行くと、「岩亀横丁(がんきよこちょう)」に出る。
岩亀横丁通り
1859(安政6年)年開港の年に、今の横浜スタジアムの所に遊郭が出来、中でも一番大きなところが岩亀楼。そこで働く遊女達が病気などで療養する保養所がこの通り近くに有った事から、「岩亀横丁」と言われるようになったそうだ。
その遊女たちが信仰していた岩亀稲荷がこの場所に有る。
当時信仰されていたお稲荷様は、今でも守られ受け継がれているのだ。
岩亀稲荷の入口。入口にある灯籠は遊女の立ち姿を表している
祀られている稲荷様
「岩亀稲荷」をお守りしているのは、4代目にあたる相澤義一さん。お稲荷さんの隣でワイシャツ屋さんをされている。1、2代目は足袋屋さんで、3代目になる義一さんのお父さんの代からワイシャツ屋なのだそう。
ワイシャツ屋さんの隣には喫茶店「KALDEY」があり、義一さんの奥様である幸子さんとご子息の一成さんが営んでいる。
喫茶店内の幸子さんとお客さん
「ここは開発を免れた場所、取り残された場所でも有るけどね」と、幸子さんが明るく語ってくれた。
受け継がれる伝統
「岩亀横丁」から掃部山公園(かもんやまこうえん)へ向かう途中に、こんなお店が!
木村経師店
粋な表具師・横浜マイスター(市内在住の手仕事手作業主体の卓越した技能職に選ばれた方)の木村康夫さん。お爺さんの代から、3代目のご主人。
木村康夫さん
表具師さんは、掛軸や屏風など、古くから伝わる美術品の修復や、身近な所では、ふすまや障子など、“紙”に関する仕事に専念する方。
仕事中の木村さん
橘「お仕事で、どんな事が大変ですか?」
木村さん「お客様の家宝の掛軸など、大切なものを修復する時なんか、失敗は許されないから大変だねぇ~」
橘「そうですよね」
木村さん「緊張して、夜も眠れないから昼寝してね・・・ははは・・・」
ユーモアのセンスも抜群で、話していると時間を忘れてしまうほど、楽しく粋な方です。
掃部山公園(かもんやまこうえん)
目指す掃部山公園は、みなとみらいを見下ろす高台にあり、桜のシーズンには、花見客で賑わっている公園。
掃部山公園の中
横浜開港のきっかけとなった、日米修好通商条約が結ばれた当時の大老は彦根藩主、井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼。その功績をたたえ、旧彦根藩士達がここに彼の銅像を建てた。以来、この公園は掃部山公園と呼ばれているそうだ。
井伊掃部頭直弼の像の前でポーズ
ここで、持参したヨガマットをおもむろに開き、横浜開港時の英雄の像の前で、英雄のポーズをとる。
掃部山公園の横には「能楽堂」が有る