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焼肉のたれだけではない!! 横浜から生まれた老舗の食品メーカー「エバラ食品工業」を徹底解剖!

ココがキニナル!

エバラ食品は横浜らしさをどう展開していく?みなとみらいの新オフィスの様子は?横浜にちなんだ調味料を出す予定はある?社員の方オススメの調味料を使ったレシピは?(bjさん/ほっけさん/maniaさん)

はまれぽ調査結果!

横浜で半世紀以上! 美味しいものを作るエバラ食品工業の新オフィスは明るく元気な社員がいて、オススメレシピもたくさん。

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ライター:細野 誠治

横浜から、すべての食卓へ。エバラの歩みって?(つづき)



ひと通りフロアを見せていただいたところでエバラ食品工業の歩みを教えてもらおう。会議室へGOだ。
 


すいません、黄金の味(中辛)が取材に同行します


お話いただくのは経営企画本部・広報室長の中村勝彦(なかむら・かつひこ)さん。横浜が大好きだという氏に、いろいろ教えてもらおう。
 


横浜をこよなく愛する中村さんは横浜西口の五番街の雰囲気がお好きだとか


さて、エバラ食品工業の歴史は今から57年前の1958(昭和33)年にさかのぼる。横浜の神奈川区、松見町で産声を上げた。
 


創業のころを収めた貴重な一枚


当時はケチャップやソースなどの製造・販売を手がける会社だったそうだ。
会社が現在の規模まで飛躍したきっかけは、やはり“焼肉のたれ”。

創業当時、焼肉といえば“外で食べるもの”と相場が決まっていた。
折しもこのころは高度経済成長期。そして日本人の食生活も旧来の魚や大豆類といったものから、肉食への転換期でもあった。

そこで創業者の森村國夫(もりむら・くにお)氏は考えた。
「(外食の)焼肉を、何とか家庭に持ち込めないものか?」
 


アイデアマンだったという創業者の森村國夫氏


食生活が大きく変わろうとしていた時代。
若者たちが、焼肉を外に食べに行くというライフスタイルがある。
「もっと手軽に焼肉を、家庭で楽しんでもらいたい」
「おいしい“焼肉のたれ”を作れば、新しい食習慣が普及するはずだ!」
 


外で食べるものを、家族の食卓に届けたい(写真はイメージ画像)


「美味しい、大衆に喜ばれる味」を追求するため、森村氏は東京と横浜を中心に焼肉店をハシゴし“たれ”の試食に明け暮れたという。

そして開発へ。ケチャップやソース作りで培った独自のノウハウを活かし、試行錯誤の末に誕生した“たれ”は日本人の口に合う醤油ベースに、みりんやニンニクなどの絶妙な配合によって完成した。1968(昭和43)年のこと。
 


当時のテレビCMより 提供:エバラ食品工業


ネーミングや容器など、すみずみまで社長の森村氏のこだわりが詰まった“焼肉のたれ”は精肉店での店頭販売から始まった。
試食販売を繰り返し、翌年にはスーパーマーケットに陳列されるように。さらにその翌年、テレビCMを開始。その名を轟かせるようになる。
 


1975(昭和50)年、神奈川区沢渡に本社を移転


1970年代後半「焼肉のたれ」のヒットにより、他社からの追随が起こる。そこでエバラは更なる美味しさへの追求を行う。

「もっと高級で、もっと美味しい“たれ”を作ろうじゃないか」

1978(昭和53)年、醤油や味噌ベースなど、一般的な味とは一線を画す「フルーツベース」の“たれ”が完成する。これが「黄金の味」シリーズ。
 


何と原材料の3分の1はリンゴ!


果実由来のフルーティな甘さ。これにより関東より西、辛さよりも、まろやかな甘さを求めるユーザーに受け入れられ、ついにエバラ食品工業の“たれ”が全国制覇を果たす。爆発的な大ヒットとなった。
 


1986(昭和61)年、順調な成長により本社を西区北幸二丁目に移転


そして2014(平成26)年、みなとみらい地区に本社機能、テクニカルセンター、国内グループ本社をここ、横浜アイマークプレイスに移転させた。

―なぜ、ずっと横浜なんでしょう? 
中村さん:「横浜生まれ、横浜育ちの企業ですから。これからも地元・横浜に根ざしていきたいと考えています」
 


「横浜の企業ですから」


「東京に営業拠点はありません」と中村氏。ハマっ子としては本当に聞いていて気持ちがいい。

「ここ、横浜から全国の食卓に美味しさを届けてきたので、今後も横浜から日本、世界のお客さまに“こころ、はずむ、おいしさ”をお届けしていきます!」とも。

横浜に根ざし、横浜から世界へ。
壮大に聞こえるけど、同じ地元としては文句なしに応援したくなる。そして何より、企業ではあるものの、ハマっ子の矜持みたいなものまで感じる。

事実、エバラの想いは現在、海を越え始めたところでもあるそうだ。
エバラの味、“たれ”や“鍋物調味料”は東アジア、東南アジアへと輸出されている。
 


横浜から世界へ。頑張るんだぞ、黄金の味!


ざっと駆け足だが、エバラ食品工業の歴史が分かった。
まだまだ聞きたいことがあるのだが、インタビューのバトンを引き継いでいただく。
 


会議室を後に。続いてはマーケティング部の方の元へ(重いって!)




エバラらしさ、横浜らしさ



エバラ食品工業の歴史を知ったところで、お次は“たれ”以外の商品、主にカレーについて聞いてみよう。キニナルにある通り昨年、さまざまなカフェやレストランとコラボレーション展開をした「横濱舶来亭」だ。
 


ラインアップは5種。ぜひ!


この商品、実は隠れた大・大ヒット商品。
細野はこの商品を食べてみて、家のカレーを他社製品から乗り換えた。それくらい美味い。

場所は小キッチンが併設された室内。担当者に登場してもらおう。マーケティング部販売促進課長の桑原慶昭(くわはら・よしあき)さんだ。
 


赤レンガ倉庫近くの歩道橋からの眺めが好き! な桑原さん
 

はい、ここでも黄金の味(中辛)が同行しまーす


桑原さん:「・・・なぜ黄金の味(ビッグボトル)を?」
オレ:「優秀な広報だというので。あと、個人的に万能ネギと青首ネギを刻んだのをご飯に乗っけて、黄金の味をかけてワシワシ食べるの好きなんで・・・」
桑原さん:「細野さん、それにちょっとだけマヨネーズかけると最強ですから!」
 


そうか、マヨネかあっ!(笑)


皆さま、ぜひお試しを。食べた瞬間、窓開けて大声を上げたくなります(あと、自転車で町内一周とか)。

本題に戻ろう(反省)。

エバラ食品工業から発売されている、この「横濱舶来亭」。ひょっとしたらご存じない方も多いかと。これには理由がある。ほかの商品と違い、大々的なCMによる告知を行っていないのだ。
 


桑原さん:「オススメは中辛です!」


何故か。答えは「作業工程が多く、大量に生産できない」から。
スパイスの選定から配合、材料を丹念に、時間をかけてロースト。ほかに秘伝の工程なども含めて非常に大変。・・・が! 味は絶対のお墨付き。
外で食べるスパイスの効いた、家カレーを超えたものができる。
 


業務用カレーで培ったエバラのノウハウが集約されている


―どうして、このような商品を?
桑原さん:「元々、エバラにはカレーに強いこだわりがありまして。1968(昭和43)年の「焼肉のたれ」と同じ年に業務用の「マドラスカレー」を発売しているんです」

1968年に、焼肉のたれと同じく生まれたカレーブランド。これは兄弟と言ってもいいのでは? そして「外で食べるカレー」の味、そして飲食店のオーナーの舌を納得させる味ということか・・・。

桑原さん:「大量生産のできない味、門外不出のブレンド、とてつもなく時間をかけた商品です!」
 


「美味いです!」自信が強く伝わるカレー


実力のほどが伺えるエピソードを紹介しよう。

関西圏で放送された某深夜番組でのこと。カレーを販売している食品メーカー社員が集まり「本当に美味いと思うカレールーは?」というアンケートで堂々の1位、ぶっちぎりの1位を横濱舶来亭が獲得したという。
(この放送後、輪をかけて品薄状態が続いたそうだ)
 


トレードマークは港町・横浜らしい、入船のイラスト


―では横浜ロイヤルパークホテルや汐汲坂ガーデンとのコラボメニューの経緯は?
桑原さん:「みなとみらいに本社を移転するときに記念のイベントをすることになりまして、横浜とエバラの関係性を知っていただくために企画しました」
 


溶けやすく使い易いフレークタイプ。こんなところもエバラらしさ


発売以来、売り上げは右肩上がりだそうだ。またアンケートを取るとリピーター率が高く、「我が家のカレー」として着実に定着していることが伺えるという。
 


エバラと横浜の関係性を強くアピールできる商品だと思う


エバラ食品工業の商品はまだまだ、ある。「浅漬けの素」に「プチッと鍋」、キニナルにあったオススメ調味料レシピも・・・。

それでは、と桑原さんからまたバトンが渡された。(桑原さん、ありがとうございました!)