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保土ケ谷区の広大な緑地「カーリットの森」、火薬工場だったころの姿は? 

ココがキニナル!

保土ヶ谷区「カーリットの森」に以前火薬工場があったらしく、ビックリです。どういう経緯で無くなったか、また現在の「たちばなの丘公園」が荒れ放題!?調査して!(Ashさん、ホトリコさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

「カーリットの森」は、かつて日本カーリット株式会社保土ケ谷工場があった場所。工場移転は人口が増加し住宅が増えたため。

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ライター:松崎 辰彦

広い公園に多くの人が行き交う(つづき)



こうした展示をひとしきり見た後、道に沿って歩きだすと、そこはゆったりとした心癒される緑の解放区である。道は広く、ところどころにベンチがあり、訪れた人びとが静かに散策している。犬を連れた人も多く、犬の散歩コースとしても格好の場所であることが分かる。
 


心休まる散歩コースがある
 

広々として開放的な空間


そしてやや奥に入ると木立が多く、長い道が伸びている。しばらく歩くと「万年塀」と説明書きされたコンクリート製の壁があり、表面に「危険区域 火気厳禁 立入禁止」という文字が赤く浮かび上がっている。いうまでもなく日本カーリット時代の遺物である。

いかつい風体だが、この頼もしい壁がたしかに人びとを守っていたことを思うと、時代に取り残された兵(つわもの)が一人たたずんでいるような、何ともいえぬ孤影を感じる。
 


木立に囲まれた道
 

その道を歩くと
 

「万年塀」にたどりつく
 

「危険区域・火気厳禁・立入禁止」カーリット時代の警告である
 

万年塀の説明(クリックして拡大)


さらに森を歩くとホタルの保護区域に行き当たるなど、横浜市の中心部近くにもかかわらず、貴重な自然を満喫できる場所であることがわかる。
 


ホタル保護区域を知らせる看板
 

生き物を調査している
 

ホタルが保護されている


駅からやや離れてはいるが、緑豊かな憩いの場として、今後ますます多くの人を惹きつけるであろうことがその静かなたたずまいから予感される、広く、快適な公園である。



かつて火薬工場だった「カーリットの森」



日本カーリットの創業者は浅野セメントの浅野総一郎(1848~1930)である。
 


浅野総一郎


浅野は1916(大正5)年にスウェーデンの会社からライセンスを獲得し、爆薬(カーリット)の製造に乗り出す。その後、1919(大正8)年に保土ケ谷工場建設。カーリット(当時は「浅野カーリット株式会社」)の設立はそれよりさらに後の1934(昭和9)年である。
工場内部でどのような作業がなされていたかは、現地の土塁にある説明板でおよそ推測できる。
 


爆薬の原材料を混ぜ合せている
 

かつては木箱に詰めていた
 

爆薬を充填していた
 

工室の説明。火薬の製造が行われていた(画像提供:日本カーリット株式会社)


火薬を作り、運搬する仕組みがこの土塁を中心としてでき上がっていたようである。
何より安全性に気を配り、不測の事態に備えていたことが、土塁の中の一つひとつの部屋を覗くと実感される。
 


工場内にトンネルがあった(画像提供:日本カーリット株式会社)
 

火薬の製品や原材料の運搬にトロッコが使用されていた(画像提供:日本カーリット株式会社)


「火薬の工場は、爆発が横に広がらないような作りになっています。横に広がると大きな事故になってしまいますから」
 
こう説明するのは日本カーリット株式会社広報部長の渡部雅範(わたなべ・まさのり)氏(写真NG)。東京都中央区にある本社でお話を伺った。

「火薬というとダイナマイトを連想されるかと思いますが、火薬の原料は油からできています。しかし日本では油が採れない。そのために塩を電気分解して過塩素酸アンモニウムを獲得し、火薬の原料としています」

こうしてできた火薬は、トンネル工事やダム工事で使用されている。
「日本の高度経済成長期には公共工事も盛んで、火薬の使用量も多かったと思います」渡部氏は解説する。