「ハマザップ」は結果にコミットすることができるのか? いよいよ、やっと、ついに本気で始動!
ココがキニナル!
編集部・吉田がいっこうに痩せないため今話題沸騰中の「ライザップ」に学び、それを超える「ハマザップ」で結果にコミットできるのか?(はまれぽ編集部のキニナル)
はまれぽ調査結果!
GWの楽しい思い出に誘われ、六国峠ハイキングコースへと吉田を誘った大仏だが、季節は確実に変わっていたので引き返し、屋内でしっかり燃焼
ライター:永田 ミナミ
そうは問屋が卸さない(つづき)
ちょっとぐるっと回ってしまったが、軌道修正してハイキングコース入口へ
というわけで、そぼ降る雨のなかあらためてハイキングスタート
お、階段も整備されている。雨じゃなければかなり歩きやすそうだ
宮崎県青島の「鬼の洗濯岩」を思わせる岩肌の道に興奮するも滑らぬよう注意
「ね、吉田君」と大仏が振り返るとまたもや仕事の電話中。お疲れさまだねえ
などと言っていると「能見堂緑地」の案内が。ハイキングらしくなってきたぞ
大仏を先頭にずんずん歩いていくが残念ながら雨は止まない
途中で「能見堂緑地ハイキングコース案内」を見つけた
しかし、地図上のコースをたどっていくと案内は金沢自然公園の手前で途切れている。
駅前の地図に案内板の範囲を重ねてみるとこんな感じ
あれ、本当に40分で着くのかな、という疑問が大仏の脳裏をよぎったが、ひとまず先を急ぐことにした。
先を急ぎながら、さっきの入口の標識にたしか「能見堂跡~大丸山~鎌倉天園方面」と書いてあったような、大丸山を経由するということだとすると、結構 遠いんじゃないかな、という疑問もよぎったが、まあ途中で大丸山方面と鎌倉天園方面に分岐するのかな、と適当に結論を出して歩き続けた。
それがあとで仇となるのだが、仇になる前にもういろいろと起こるのだった
夏の小悪党ども
弱まると見せかけては勢いを盛り返す雨足に灰色の空を仰いでいた吉田が「かいっ」と言って足首に手を伸ばした。それを聞いて振り返った大仏が何気なく首筋に手を伸ばすと小さな何かがつぶれた。蚊だった。
「ああ刺されたよう、あ、ここも刺されてる」と掻きむしる吉田
ひとたび気がついてみると、そこらじゅうに蚊が飛びまわっている。そうか、と大仏は膝を打った。すがすがしいGWから季節は流れ、梅雨である。
たっぷりと長雨が降る今年の梅雨で生命を得た大量の蚊たちのところへのこのこと人間が現れれば、「ヒャッハー」とばかりに襲いかかるのも無理はない。大仏の心は揺れた。
しかも大仏の心の揺れを嘲笑うかのように雨足は一段と強くなった
ひとまず木の下で雨宿りをしてみたが、立ち止まればたちまち小悪党たちの餌食である。そこでさっき撮った「ハイキングコース案内」の写真を見てみると、もう少し進めば「休憩広場」がある。そこまで行けば屋根のついた東屋があるかもしれない。
一縷の望みをかけて蚊を振り払い、吉田と大仏は雨のなかを歩きだした
そして休憩広場に到着。しかしそこに屋根はなかった
そこでまたもや大きな木の下で雨宿りをするとさらに強まる雨足
立ち止まればヒャッハーと刺されまくる。吉田はやけになって「自然の恵みよ」と両手をひろげる始末。黒子の山岸は前進あるのみのゴーサインを出している。
さてどうしたものかと考えていた大仏は、ふと思いついて懐からスマートフォンを取り出し、豪雨レーダーをチェックしてみた。すると何とあと15分ほどで20分ほどの止み間がやってくるではないか。
吉田にその旨を伝え、止み間を利用して引き返そうと言おうとすると「止んだらお弁当食べさせてください」と言う。なるほど、たしかに吉田君は何度も空腹を訴えていたね。
雨上がりのランチタイム
さて15分後、あれほど強かった雨は本当に止んだ。「ひまわり8号って素晴らしいねえ」と感動しつつ振り返ると、吉田はすでにベンチに座っていた。
はい、お弁当だよ。お口に合うといいけれど
上段はトマト、キュウリ、サラダほうれん草にバルサミコ酢で炒めたシメジのサラダ
下段は梅、しそ、チーズをはさんだささみのグリルである
ライザップで聞き齧(かじ)った情報をもとにつくってみたよ、吉田君
ドレッシングは塩胡椒とオリーブオイルだから水出ちゃうなと思ったけど
面倒くさいから和えてきちゃったんだよ。まあ、聞いてないか
その後も黙々と箸を口に運び猛スピードで食べ進む
その間も蚊は容赦なく襲いかかり、食べまくる吉田の脚を刺しまくる
「よく噛んでゆっくり食べる」はハマザップのルールのひとつだが、豪雨レーダーがあと15分後に次の雨雲がやってくることを知らせているので、量もこれ以上食べられるわけではないし、今日のところは解除である。
というわけで平らげてご馳走様。美味しいと言ってくれて大仏も満足
デザートの蒟蒻ゼリー3個を食べて、さあ出発だ
吉田と大仏は、濡れた岩やぬかるみに気をつけながら足早に来た道を戻った
そして無事にハイキングコース入口に着くと、残りの蒟蒻ゼリーを手渡し握手
「今日は雨の中すまなかったね。GWの楽しい思い出を吉田君にも感じてほしかったんだけど、やはり梅雨はむやみに出歩くものではないね。次は屋内で何かやろう」そう言って金沢文庫駅に戻った大仏は吉田に手を振り、鎌倉に帰っていった。
ちなみに能見堂とは
ランチタイムを過ごした休憩広場は能見堂跡のすぐ横にあり、見に行きたい気持ちはあったが、雨と蚊に阻まれまたの機会にしたので、ここで能見堂について少し紹介。
能見堂とは、寛文年間(1661~1673)に、この土地の領主だった久世大和守広之(くぜやまとのかみひろゆき)が、芝増上寺の子院を移設し、再興した擲筆山(てきひつざん)地蔵院である。
明(みん)からやってきた僧、心越禅師(しんえつぜんじ)が故郷の景色に重ねて、この場所から見える金沢八ヶ所の勝景を漢詩に詠んだことから「金沢八景」 と呼ばれるようになった。現在、能見堂跡には江戸の庶民百数十人によって1803(享和3)年に建てられた「金沢八景根元地」の石碑が残っている。
内海がこの場所のすぐ下まで入り込んでいたとは(クリックして拡大)
現在の地図はこんな感じだが、ここに当時の海岸線を重ねてみると
おおよそこんな感じになるか。なるほど能見台のすぐ下に入江が迫っている