「誰だと思ってるんだ?」、横浜が生んだ笑いの神「トレンディエンジェル」斎藤司さんを徹底解剖!
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「誰だと思ってるんだ?」、横浜が生んだ笑いの神「トレンディエンジェル」斎藤司さんを徹底解剖!
ライター:山口 愛愛
「田奈高生」と触れ合った幼少期から暗黒時代へ
(つづき)
―今の芸風に通ずるものがありそうですね(笑)。ご自身の高校時代で印象に残っていることはありますか?
私立日大高校に入り、高校3年間は本当に暗黒時代です。
―中学生のころとそんなにギャップがあったんですか?
中学生のころは、女子に「かわいい」なんていわれてモテました。
中学生のころはテニス部に所属
クラスの人気投票で、2位だったんですよ。1人3票入れられるんですけど、1位は「キム」で18票。でもクラスの女子は全部で18人だったので、これって口裏合わせないと絶対に無理じゃないですか。「みんなで同じ人に入れよう」という、女子の特有のやつですね。なので、僕はこれを無効票と呼んでます。
僕は4票で2位でしたけど、本気の4票が入っている。だから実質、僕が1位なんですよ。(キメ顔)
―なるほど(笑)。それが急に高校で暗黒時代に?
高校に入って人見知りが大爆発しました。自分から話しかけるのが苦手なんで「明日からでいいか」って繰り返していたら、そのまま友達が作れなかったんですよ。休み時間はいつも、机に伏せて寝ている高校生活。
中学、高校は女子と付き合えなかった
―部活には入っていましたか?
体操部に入部して、少し経ってから合宿があったんです。クラスには友達がいないので、久しぶりに人と話していることに嬉しくなってはしゃいじゃったんですよ。ふだんやらないツッコミとかしたら、みんなびっくりして、ちょっと引いた感じになっちゃったんですね。
その合宿中、夜中に顔が熱くて目が覚めたんですよ。そしたら、顔面にブラックペッパーをかけられていて。
イタズラが激しい部活だったんで、みんなにやっていたんですけど、僕はそれをイジメと勘違いしちゃったんですね。あぁ、はしゃいでツッコミなんてしなきゃよかった、と思ってしまい、体操部は2ヶ月で辞めちゃいましたね。
―それは切ない思い出ですね。では高校生のころに友達と遊んだ思い出はないですか?
唯一、横浜で、高校のクラスの人・・・あえて友達といわないですけど(笑)。こんな僕を映画に誘ってくれた人がいたんですよ。男4人で横浜の「相鉄ムービル」に行って『スピード』を観ました。友達と街で遊んだことがないので、それが思い出深い。
横浜で映画を観たのは後にも先にもそれ1回だけ
―お1人で出かけることが多かったんですか?
あまり出かけなかったですね。田園都市線沿線に住んでいたので、たまに渋谷に寄って帰るくらいです。学校から家まで、ひたすら直帰でした。青葉台まで戻ってきて駅前の「マック」で、ポテピリバーガーを10個買って、ジグソーパズルをしながら食べるような生活でした。
―駅前のマクドナルドが懐かしいです。わたし(ライター・山口)は日体大生だったので、青葉台駅からバスで通ってたんですよ(笑)
えぇ、そうなんですか。僕、日体大行のバスで帰ってたんですよ。日体大生は、ジャージで声がデカくてバスの中でも騒がしいんですよ(笑)。近くの桂台公園で遊んでいると、寮から抜け出してきた日体大生がサンダル履きで、原付でやってきて、夜遅くに携帯でずっと電話しているっていう。僕の中の印象は、田奈高生と日体大生は一緒です(笑)
あんなにスポーツ選手を輩出している大学だったなんて
亡くなったお母さまへの思い
―高校のころの思い出が続きますが、お母さまがお亡くなりになられたそうで辛い思いをされたのではないでしょうか。
高校1年のときに、母ちゃんはもう長くないかもしれないとオヤジから聞いて、それでめっちゃ泣いて。僕、お母さん子だったんですよ。母ちゃんはそのとき38歳で、乳がんから脳にがんが転移したんです。僕が来年38歳になるんですけど。
そのころは、死というものがよく分からなかったですね。田舎のおじいちゃんの葬式はいったことがあったけど、まさか自分の思い出深い人が死ぬなんて。
青葉台の斎場でお葬式をあげて、高校の同級生も来ましたけど、なんで来たんだろう? という感じで一言もしゃべらなかったです。母ちゃんには学校で友達がいないことを話してなかったんですけど、中学生の同級生のお母さんが話していたらしく、すごく心配していたというのを死んでから聞いたんですよ。
乳がんの方の話を聞くと人ごとに思えず心配です
―今の斎藤さんの姿を見たら、喜ばれるでしょうね。
そうですね。うちの母ちゃんは活発で元気な人だったので。自分が成功したのを見せたかったというのはすごくありますね。
―高校の同級生からすると、今の道に進んだ斎藤さんの姿は意外ですよね。
高校のころ『東京ストリートニュース』(ティーン向けのファッション雑誌)が流行っていて、同級生に「ストニュー」に大きく取り上げられる、TOKIOの長瀬智也(ながせ・ともや)君みたいなのがいたんです。それでちょっと芸能界を意識するようになって。
高校のころの自分は友達もいないし、女の子としゃべったこともなくて、だけど、その彼はスポットを浴びていて。悔しさと反骨精神がパワーになった可能性はありますね。
友達のいなかった斎藤さんがこんな風になるとは