初代ゴジラが上陸したといわれる観音崎とは?
ココがキニナル!
初めてゴジラが上陸したといわれる観音崎。海水浴場に灯台に美術館。まさに今の時期にふさわしいスポットなのでぜひ取り上げてください。今でもゴジラとのつながりはある?(コムギさん、るぱんさん)
はまれぽ調査結果!
東宝は、観音崎を含め、上陸地を特定していない。1958年、観音崎に作られたティラノサウルスの滑り台がゴジラとつながっていったと推察される
ライター:やまだ ひさえ
観音崎を遊びつくす
「観音崎といえば灯台」と思われがちだが、投稿にあるように、海水浴場に美術館など、楽しめる場所がたくさんある。
観音崎は1年を通して楽しめる場所
今回、ゴジラの滑り台の思い出を語ってくれた中島さん、若杉さんが大勢の人が集える場所にしたいと道の駅をイメージして造った「『夢Dream』食堂」には、観音崎を凝縮した一品がある。
「観音崎とんこつラーメン」は同店のオリジナル
地魚を中心にしたメニューは定評がある
「観音崎とんこつラーメン」はスープの水に地元・横須賀の「走水(はしりみず)の原水」を使い、ダシには同じく地元「鴨居産昆布」を使っている。
さらに具材は、「鴨居産ワカメ」をふんだんにあしらい、走水漁港で水揚げされたアジのつみれで作ったワンタンをトッピング。地元の海の幸てんこ盛りの1杯だ。
アジのつみれワンタンが良い味をだしている
観音崎一帯の走水海岸は、海岸線近くまで急斜面の陸地が迫っていることで、ミネラルをたっぷり含んだ地下水が流れこむ。
このため、栄養分に富んだ漁場が形成され、良質の海の幸を産することで知られている。また、潮の流れも速く身のしまった魚が水揚げされる。地元の食材を知り尽くしているからこそのラーメンだ。
毎日、汲みに行っている走水原水
味はあっさりめのトンコツしょうゆ。潮風で冷えた身体に嬉しい仕上がりだ。
海の今と昔
観音崎を訪れたら「海」は外せない。海水浴のピークともなると大勢の人でにぎわう。
波が穏やかなので小さい子の姿も見かける
岩場が多く、磯遊びも楽しめる
太公望にも人気のスポットだ
海辺のBBQスポットとしても知られている
東京湾に面し、対岸の房総半島と6㎞ほどしか離れていない観音崎は、歴史的にも興味深い場所だ。
日本初の洋式灯台設置。さらに、明治時代から第二次世界大戦の終結まで「東京湾要塞地帯」として首都防衛の役目を担ってきた。
海岸線に延びる遊歩道の途中が灯台と戦跡につながっている
広島から転勤で横須賀市にやってきたという親子と遭遇。「楽しかった」と話してくれた。
灯台を見学してきたという親子
親子が降りてきた階段の上がった先に、1868(明治元)年に建てられた日本初の洋式灯台の「観音崎灯台」がある。
現在の灯台は、1925(大正14)年に完成した3代目
灯台へ続く道を含め公園内には東京湾要塞時代に日本海軍が使用した道が迷路のように張り巡らされ、遺構も残されている。
岩場を切り開いた道は迷路そのもの
急坂の道も多い
日本海軍が使用したレンガ造りのトンネル
トンネルの先には弾薬庫跡がある
そのまま進むと第三砲台跡にぶつかる
観音崎には、1880(明治13)年に日本最初の砲台の工事が行われた以後も次々に工事が行われ、8ヶ所に及ぶ砲台が設置された。
これほど多くの砲台が設置されたのは、対岸の千葉県富津市に比べてなだらかな丘陵地帯であること、また、湾口が北西方面に湾曲している中心部にあり、侵入してくる敵艦船に砲口を向けやすいことがあげられている。
明治時代に造られた観音崎第一砲台跡
公園内では建設された8ヶ所中4ヶ所の砲台跡を見ることができる。
観音崎のある横須賀市は、軍都として発展を遂げて街だ。残された砲台跡は、その歴史を静かに語りかけている。