のどかな田園風景と川和富士の絶景が自慢。はま旅Vol.42「川和町編」
ココがキニナル!
横浜市内全駅全下車の「はま旅」第42回は、川和富士をシンボルに持つ街、川和町駅。
ライター:松野 孝司
こんなところにミュシュラン三つ星店?
(つづき)
もともと20年ぐらい前に同じ敷地内でやっていたラーメン店を閉め、2006年に復活。店名は変ったがラーメンの味は当時のままだったため、開店当初は「ひょっとして…」と声を掛ける昔なじみのお客さんも多かったという。
それが昨年6月のテレビ放映後に客数は急上昇。予想以上の反響があり、戸惑うことも多かったそうだ。
「遠くは山形、静岡、山口からもわざわざ足を運んでくれる方もいたので、正直ビックリしました」(杉本さん)
名物の浜しゃり(150円)。刻んだチャーシューが入ったおむすび
注文があってからにぎってくれる
しかし、残念ながら道路の拡張工事のために今年の9月ぐらいにはお店をたたまないとならないという。
「昨年中という話もあったのですが、工事の予定が延びたので、もう少し続けられそうです。ぜひお越しください」
その後については、まだ白紙というが「どこか違うところで」と再開を望むお客さんの声も多いとか。
「浜ちゃんラーメン」を後にして道沿いを川和消防署までテクテク。すると一軒の美味しそうな豆腐店を発見したので、取材を申し込んだのだが、「ウチみたいな個人商店は(インターネットなんかで)掲載されてもね」という理由で、残念ながら取材NG。ガックリ…。
仕方なく取材を諦めて自慢の「絹ごし厚揚げ」と「ゆば豆腐ナゲット」をお土産に購入して退散。
「ゆば豆腐ナゲット」。豆腐や湯葉のほか、数種類の野菜と魚のすり身で作られている
「絹ごし厚揚げ」。豆の香りが強く、しかもなめらかな食感はスーパーの厚揚げとは別物
地元で愛される川和八幡神社で初詣
川和小学校を通過してさらにテクテク
豆腐屋さんを後にして、横浜上麻生道路を川和小学校方面へ、しばらく歩いていると川和八幡神社の参道が。
川和八幡神社は、一説によると『日本三代実録』に「武蔵国正六位上河輪神に従五位下を授く」と記されている河輪神が祀られているという。
かつては境内には樹齢千年を越す大杉があったという記録があるが、今はサクラが植えられ、春先にはお花見スポットとして地元の方に愛されている。
朱色の鳥居がなんとも風情がある
何を祈ったかって? それは「はまれぽ」のアクセス数倍増です
日が暮れてきたので、街のシンボルでもある川和富士に行くために、いったん駅に戻り、グリーライン沿いの道を筑紫ふれあいの丘駅を目指して歩く。永遠と坂道に続き、中年の身には辛い道のりだ。
川和富士公園入口バス亭があったので、このあたりだろう、と目星をつけて周囲をウロウロしていたら目的の公園を発見。
以前、「横浜で一番標高の高い『~富士』はどこ?」の取材に訪れているが、緑で覆われていた山肌もすっかり冬枯れしており、趣がガラリと違う。
冬枯れの川和富士。夏とは趣がまた違う
北風が吹くなかドッジボールを楽しむ子どもたち。元気いっぱいだ
近くに住む小学生たちがドッジボールや木登りをしていた。家の中でゲームしている子どもたちが多いなか、寒空の中に駆け回って遊ぶ姿がなんとも頼もしく思えた冬の一日だった。
川和富士から見た夕焼け
あとがき
古くは鎌倉街道中ノ島が通って交通の要衝だったという川和町だが、駅周辺から農地が広がり、横浜とは思えないほどののんびりとした街だった。残念ながら取材NGだった豆腐屋さんで、創業当時(昭和39年)の写真を見せてもらったのだが、周りは田んぼと畑だらけで民家も数えるほどしかなかった。
2008年に川和町駅が開通し、年々宅地が増えているという。今後どう発展していくのか楽しみだ。
■今回のはま旅「川和町」周辺
・「浜ちゃんラーメン」横浜市都筑区川和町1331
・「川和八幡神社」横浜市都筑区川和町2388
・「川和富士公園」横浜市都筑区富士見が丘20
― 終わり ―
くらげさん
2016年02月12日 11時18分
「筑紫ふれあいの丘」や「永遠と坂道に続き」等、読み直せば気づくであろう間違いが見られ残念。
Tosh.さん
2012年06月24日 09時06分
高校生時代、中山駅から川和町、市が尾駅を経由して母校に行くバスに毎日乗っていました。土曜日はたまに川和町で第三京浜経由の横浜駅行きバスに乗り換えたりして。もう30年近く前の話。たまにあのあたりをクルマで通過しますが、旧道沿いはあまり変わっていませんね。しかし川和町に地下鉄が来たなんて、感無量です。
町田県民さん
2012年01月19日 21時15分
鎌倉街道中ノ島↑中ノ道の間違いだと思います。川和町近辺には、鶴ヶ峰~白根~中山を経て、荏田~鷺沼~作延~二子に至る道があったとされています。途中でご覧になった御社の傍らの石碑を注視すれば、江戸以前の元号が記されていたかも知れませんね。