【横浜の名建築】横浜能楽堂 染井能舞台
ココがキニナル!
横浜にある数多くの名建築を詳しくレポートするこのシリーズ。第30回は、『横浜能楽堂 染井能舞台』明治時代に作られた華奢で優美な能舞台は、数多くの名人が演じた歴史が凝縮した緊張感のある美しさを湛えていた
ライター:吉澤 由美子
白梅の咲く華奢で優美な能舞台
(続き)
床板は桧(ヒノキ)だが、他の部材は樅(モミ)が使われていることも特長のひとつ。
全体の骨組みが細く、鏡板の梅も加わり、華奢で優美な印象を受ける。
屋根を支える蛙股(かえるまた)は松葉。松平にちなんで染井移築時につけかえられた
染井にあった頃、本舞台は格天井だったが、横浜能楽堂に移った時に屋根をかけ、重要な演目である「道成寺」で使う梵鐘を下げるための滑車をつけている。
本舞台にある4本の柱の中で一番重要なのは、手前に張り出した角にある目付(めつけ)柱。面をつけて視界が極端に狭くなった演者が目安にする。
後座の左右は、一方が橋掛かり、他方には切戸口(きりどぐち)という小さな出入口になっており、切戸口の脇には竹が描かれている。
竹が描かれた横の小さな出入口が、切戸口
後座と地謡座の間にある貴人口(きにんぐち)と呼ばれる出入口は、茶室などにも設けられているもので、身分の高い人が使うもの。
貴人口は開け閉めはできるが、現在では誰もくぐらない
本舞台の正面にある階(きざはし)は、寺社奉行が舞台に上がって開始を命じるためのものだった。
本舞台中心から白洲に降りる3段の階
橋掛かりの外に飾られている松は舞台に近い方から、一ノ松、二ノ松、三ノ松と呼ばれ、一ノ松から少しずつ小さくなっていて遠近感を演出している。
手前から一ノ松、二ノ松、三ノ松
舞台の周りに白い小石が敷き詰められていのは白洲。野外で演じられていた時には、太陽光を反射して能面を下から照らす効果があった。
木目や色にもこだわり、目立たない修復がされている
舞台裏である鏡ノ間は、演者がその前で面をつける大きな鏡と、揚幕がある。揚幕は両端に竹の棒が結ばれており、それを2人がかりで上げて演者が通るもの。
鏡ノ間につながる揚幕。
鏡ノ間
演目や場面によって、揚幕の持ち上げ方も変わる
鏡ノ間の向かいには、衣装をつける装束ノ間。その先は4つの楽屋が並ぶ。
楽屋は全てつながるようになっている
楽屋の一番奥には、焙じ室(ほうじしつ)という小さな部屋。ここは、大鼓(おおつづみ)の革を炭火で焙じて乾燥させるための場所だ。
焙じ室。長い演目の際には、途中で乾燥させた革の鼓と取りかえる
焙じ室の前には、切戸口につながる舞台裏がある。
切戸口から見た舞台
桧の板と樅の鏡板のコントラストが面白い