南区の南永田団地は、昔は池だったの?
ココがキニナル!
南区の南永田団地に昔池があったと聞いたのですが、本当でしょうか?(CAZさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
団地の場所よりも西、六ツ川三丁目近辺にあったと考えられる。付近には「大池」などの地名が残り、実際にあったという証言も得られた。
ライター:河野 哲弥
いよいよ、その先の「大池」へ進む
となると、「記憶図」に若干の修正を加えなくてはならないようだ。
「六ツ川公園」に「小池」の場所を合致させ、さらに道の曲がり具合などを参照すると、おそらく本当の姿はこのようになると考えられる。
「横-横」道路から西を、証言などに合わせて補正
新しく確認できた水路をさかのぼっていくことにする。
すると、水系に沿って、道ができていることに気づいた。
「大池通り」というバス停があった
今では用水路となってしまっているが、水系の名残もある
この場所は、「池の平自治会」となっていた
「池の平自治会」の場所は、「小池」から上流の、少し太くなっている場所である。
この辺は周囲と比べて低地になっており、仮に水が集まるとすれば、ここしか考えられないような立地となっている。
どちらを見渡しても上り坂となっている
別の方向の様子
池の淵と思われる、非連続面も発見
さらに近辺の調査を進めていくと、高低差が極端に違う非連続面を発見した。
上図の池のカーブに沿った、石垣のようなものも確認できる。これは、大池と岸辺の境目なのではないだろうか。
かつての大池の北東端と思われる名残
この場所に居を構えるお宅に、撮影許可と共に、何かご存じないか聞いてみた。
すると、7年ほど前に引っ越してきたとのことで、詳しいことは分からないという。しかし、この近辺に「池」があったことは、近所の人から聞いたことがあるらしい。
また、かつてこの辺では蕪を栽培していて、その水利は池からくんでいたとのことだ。どうやら、完全な場所の確定には及ばないものの、ここに「池」があったのは確かなようである。
「六ツ川」の地名を補完してみた
後日図書館で、「六ツ川」の地名を調べてみた。すると、久保谷をはじめとする6つの谷に集まった水が合流し、大岡川へ流れ注いでいたのが、その由来らしい。
そして、周辺の高台に住んでいる子孫がやがて移住し、昭和2年ごろまでは「引越村」と呼ばれていたそうだ。
昔の地名には、その名前を体現しているものが多い。
しかし、そうした歴史を知ることができるのは、蔵書を介してではなく、「人」なのである。
市町村合併や区画整理などで、次々と消えゆく地理がある。大正から昭和にかけての生き証人が、こうした歴史的財産を語ってくれる機会は今しかない。そう考えると、まさに時代の端境に、私たちは生きているのかもしれない。
―終わり―
こっさんさん
2018年01月17日 00時23分
はたはたさんのコメントも私の記憶と同じです。ゴルフ練習場の奥ですよね、池と釣堀。釣堀が閉鎖した後、地元の小学生はその場所を解散つりぼと呼んでいました。
こっさんさん
2018年01月16日 23時49分
昭和40年代半ば、小学生の頃今の団地の中心部は山と谷で普通は誰も行きませんでしたが、冒険で何度か入りこみました。池というか沼がいくつかあり、ドジョウがうようよいましたよ。あと今のみなみ永田台公園の横にもちょっとした池があり、そこの横の崖から20mくらいの小さな滝がありました。その下には牛が何頭かいました。その何年か後には牛はいなくなり、養蚕業に特化していたようです。とても懐かしい気持ちです。
大方曹達郎さん
2014年09月18日 09時50分
現在の大池バス停の南側、バーミヤンやガストの辺は大きな窪地になっていて、1970年代に埋め立てられた。池自体を見たこととは無いが、そこが大池だったと云われた記憶がある。但し、昭和21年の横浜市の三千分の一の地図では、それらしい池は載っていない。なお、南永田団地のあった谷は、1965年代に上から眺めたことがあるが、ゆるやかな谷で、池は存在しえなかった。