謎の多い内田町。なぜ桜木町やみなとみらいにしなかったのか?
ココがキニナル!
花咲町の記事で地図を見て気付いたのが極小面積の町、中区内田町。古地図を見ると元々は造船所一部のちゃんとした面積を持つ町だった。なぜ全部みなとみらいと桜木町にしてしまわず残したんでしょう?(kazさん)
はまれぽ調査結果!
桜木町1丁目が内田町を食うように広げられ、取り残された端の部分が現在の内田町。しかし、あえて残された理由は、資料として残っていなかった。
ライター:吉岡 まちこ
内田町は、ビルも居住者もない飛び地の町!
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「中区花咲町・西区花咲町はなぜ分かれているの?」の記事では、中区と西区が分かれたのは戦時中だったこと、しかもそれは、中区から警察署の管轄域によって西区を切り離したことがわかった。
それにより、細長い2つの町だった花咲町と桜木町は、それぞれ北方の4~7丁目が西区となった。
その結果、現在の西区と中区の境界はこうなった。
なぜこんな細長く飛び出して中区としたのだろう? と前回探っているうちに、筆者吉岡も内田町の名前と遭遇したのだった。それがこの地図。Googleで「内田町」と入力すると町域が浮かび上がってきた。
わかりやすくするために青い線で囲ってみた(Googleマップより)
「中区内田町」という町名のエリアは、道路と横浜銀行本店の敷地の一部と、JR線の高架の一部らしい。建物らしい建物もないのに、町の名前が付いているのだ。
日本郵便のHPによると、郵便番号もちゃんと持っている。横浜市統計ポータルサイトで調べた人口は、閲覧可能な年月をアトランダムに拾っても「0(ゼロ)」。
ランドマークタワーに向かう、動く歩道の下の“道”が内田町
そしてランドマークタワーの向かいでは、こんなことになっている。
左が日石横浜ビル、右が横浜銀行本店ビルだが、その足元は…
わずか20ⅿくらいの幅に3つの町が混在!
あまりに変な土地すぎる! もう少し詳しく「内田町」を探ってみることにした。