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中華街でいちばん歴史が古いお店はどこ?

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中華街でいちばん歴史が古いお店はどこでしょうか?(浜猫セブンさんのキニナル)

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1884年創業、大通り沿いに店を構える聘珍樓が最古のお店だった!

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ライター:篠原 章公

横浜中華街といえば、開港からほどなくして現在の原型となる街が形成され始め、その歴史はおよそ150年にも及ぶ歴史ある街。
そんな中で現在も営業を続ける一番の老舗店といえばどこになるのだろうか。
早速、横浜中華街発展会協同組合に問い合わせてみた。


横浜中華街発展会協同組合に聞く



担当の方に伺ったところ、古くから現在まで営業を続ける老舗店は数あるものの、その中でも一番の老舗店は大通り沿いに店を構える聘珍樓(へいちんろう)だという。
念のため中国料理店以外の業種でも長きにわたって営業されている店舗はないかどうか尋ねてみたが、やはり中華街全体で見ても最古は聘珍樓とのこと。

というのも、中華街は1923(大正12)年の関東大震災や1945(昭和20)年の横浜大空襲により甚大な被害を受けたため、当時廃業を余儀なくされたであろう人々が非常に多く、明治時代から営業を続ける店は非常に少ないのだという。
事実確認も含めて、より詳しいお話を伺うべく聘珍樓に取材を行った。


中華街で一番古いお店・聘珍樓に取材
 


中華街で一番古い歴史を持つお店は聘珍樓


広報の横田さんによれば、確かに中華街で一番古いお店で間違いないとのこと。
創業した1884(明治17)年から現在まで、屋号も変わることなく大通りに面する現在の敷地で営業を続けている。
しかも同店は中華街だけでなく、日本に現存する最古の中国料理店なのだという。

「聘珍樓」の名前は中華街だけでなく、百貨店や都内に展開されている店舗でも目にした経験があると思うが、日本で一番古い中国料理店とは知らない方も多かったのではないだろうか。

1934(昭和9)年7月23日付の「横浜貿易新報」(現在の神奈川新聞)内にある「浜自慢五十佳選めぐり 萬新樓と聘珍樓」という記事中にて『聘珍樓は創業五十年の業績に普(あまね)く全国に知られた東邦最古の濱名物支那料理店』という記述があることから、同店の創業は1884年とされている。
その歴史、なんと128年である。

しかしながら、やはり聘珍樓も災害による瓦解や、それによるオーナーの移り変わりを経験しており、当時の資料などはほとんど持ち合わせていないため、詳細な歴史となると推測でしか語ることができない部分も多くあるのだそうだ。
以下、現在に伝わる話を中心に聘珍樓の歴史を追ってみようと思う。


聘珍樓の歴史



横浜開港資料館の発行による文献「開港から震災まで 横浜中華街」によれば、1880年代までの中国料理店は、居留地内に多数住んでいた中国人労働者のための簡易食堂的なものであったとされており、聘珍樓も創業当初はそのような形態だったのではないかと思われる。

その後、商売の対象を徐々に日本人へとシフトしていく中で、最初は中国語読みだった店名も、1910(明治43)年には現在の「Hei Chin Row(聘珍樓)」として記載されているのが、外国人居留地の会社年鑑・人名録である「ジャパン・ディレクトリー」に見られる。
 


明治~大正初期頃の聘珍樓外観(画像提供:聘珍樓)


そんな中で関東大震災を受け瓦解。この後オーナーは、創業した張(チョウ)家から鮑(ホウ)家へと変わっている。鮑氏により一時は200~300人ほどの人数を収容できる大広間を持つ大型店へと成長を遂げたものの、それもまた横浜大空襲により焼失してしまう。
 


昭和初期の聘珍樓外観(画像提供:聘珍樓)