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神奈川区にある斎藤分町の由来は?

ココがキニナル!

神奈川区に斎藤分町という地名がありますが、この地名の由来を知りたいです。ぜひ調査をお願いします!(ヨコさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

“斎藤”さんが管理していた土地だったことから付いた名前と考えられている。“分”は、その人の管理している土地(知行地)であることを示す言葉だった!

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ライター:田中 大輔

中区の吉田町、西区の高島など、市内には人名由来の地名というのがいくつかある。
吉田町は、ご存知の通り、あの辺りを埋め立てて田んぼを作った吉田勘兵衛さんに、高島町も同様に埋め立て事業などを行い「ハマの恩人」と呼ばれた高島嘉右衛門さんにちなんで名付けられたものだ。

今回の話題は、神奈川区にある斎藤分町(さいとうぶんちょう)という町。
 


“斎藤町”ではなく、“斎藤分町”


“斎藤”の部分を見ればいかにも人の名前といった印象だが、その後に「分」が付いている。
はてさて、斎藤さんがいたからなのか、それとも別の意味があるのか。さっそく調査開始だ。



住宅街が広がる斎藤分町

斎藤分町は、東急東横線の東白楽駅を降りて少し歩いたところにある。
辺りは住宅街で、これといって特徴のある場所ではない。強いて言えば、近くに神奈川大学があり、学生と思しき若者が歩いているのをよく見かけるくらい(神奈川大学の住所は神奈川区六角橋)。
 


一戸建ても多いが、学生向けのアパートもある


徒歩圏内に六角橋商店街などもあるためか、お店はあまりなく、住むための場所といった赴きが強い町だ。



地元のお寺と関係ある!?

例によって『横浜の町名』(横浜市民局刊)を当たってみると、町内にある善龍寺というお寺の初代の住職にまつわる地名だと書かれている。

もともと、斎藤兼実という武士が仏門に入り、真量法師として開山したのが善龍寺だというのだ。
 


浄土真宗のお寺である善龍寺。敷地はかなり広い


というわけで、まずはこの辺りの真偽を確かめるべく、善龍寺に問い合わせてみた。
お寺の住職を務めている方は代々斎藤さんということで期待は高まるが、当代の斎藤幸紹(こうしょう)住職から返って来たのは「実は、以前にもそういう問い合わせはあったんですが、正確なことは分からないんですよ」という答え。

お寺の境内には、縁起が書かれた石碑が建てられており、1987(昭和62)年に建てられたというこの碑には、斎藤兼実(かねざね)の名前も登場している。

それによると、善龍寺は天長年間(824~834年)に真言宗のお寺として開山し、1253(建長5)年に浄土真宗に改宗したとある。そして、その改宗をした人物こそが斎藤兼実(=真量法師)だというのだ。
 


境内にたたずむ縁起を示す石碑。裏面には真量法師を含む歴代住職の名前が


しかし、真量法師から数えて28代目の現在の住職は「そういう風に代々伝えられているんですが、資料としては残っていないんです。こちらも教えてほしいくらいなんですよ」と苦笑い。

善龍寺が関係した地名であることは間違いないと思っているそうだが、残念ながらお寺には根拠となる資料が残っていないようだ。