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道が歴史を語る宿場町として栄えた場所、はま旅Vol.97「東神奈川・仲木戸」編

ココがキニナル!

横浜市内全駅全下車の「はま旅」第97回は、かつて宿場町として栄えた場所。道が歴史を語る、JR東神奈川・京浜急行仲木戸の旅。

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ライター:山口 愛愛

昔、大阪から新幹線、横浜線、京浜東北線を乗り継ぎ、横浜駅に来た友人に言われたことがある。「横浜線なのに、横浜に行かへんし、神奈川県の中に横浜があって、また東神奈川とかわかりにくいねん」
「だったら、地下鉄一本でくればいいじゃん」という言葉を押し殺し、ざっとその歴史を説明した。

そんなこととリンクする、横浜線の終点「東神奈川」駅と、すぐお隣の京急線「仲木戸」駅の旅が始まる。
 


東神奈川駅東口を出て、ペデストリアンデッキを進むとすぐ仲木戸駅




駅にワケあり、道に歴史あり

歩く前に、東神奈川駅と仲木戸駅についてざっと下調べ。
1908(明治41)年に私鉄の横浜鉄道が開通し、八王子までを結ぶ東神奈川駅が開業。すでに神奈川駅があり、「東」をつけたというのは知っていたが、改めて調べてみると、先にあった駅は京急の神奈川駅のことではなく、当時の国鉄神奈川駅(停車場)のことだった。

1872(明治5)年に日本初の国鉄営業が始まり、横浜~品川間が開通したのは周知の通り。当初は、その間に神奈川駅と川崎駅があったのだ。
なお、京急の神奈川駅は当時「京浜神奈川駅」といったそうだ(こちらを参照)。
 


2つの駅を結ぶぺデストリアンデッキ(歩道橋)には「神奈川宿歴史の道」の案内が


横浜鉄道は、海岸を埋め立てて建設した横浜倉庫も経営していたので、1911(明治44)年に倉庫の近くに海神奈川駅をつくり、開通させる。貨物列車を通すために、仲木戸駅を高架化することになった。
横浜鉄道は後に国有化され、国鉄(JR)横浜線となったので、横浜線は東神奈川駅が終点のままで、関西人にはややこしいことになったようだ。

東神奈川の名称について考えていたら、ふと東神奈川1番地があるのだろうか? と気になってきた。スマートフォンで調べてみると・・・なるほど。さっそく行ってみよう。
 


駅の近くには平安時代の末期に建てられ古刹、金蔵院がある


間もなく到着。東神奈川1-1も寺社であった。熊野神社の敷地内だ。
 


鳥居の横には関東一大きい狛犬が鎮座


隣の神奈川駅のはま旅でも触れているが、この辺りは寺社が多く、東海道五十三次のひとつ神奈川宿の歴史が色濃く残る。

1854(安政元)年の日米和親(神奈川)条約の舞台となり、開港当時、多くの寺社が外国の領事館や診療所などとしても使われた。神奈川宿ゆかりの地には、石碑や案内パネルがあり、ルーツを訪ね歩く道しるべとなっているようだ。
 


パネルの絵図で当時の営みを想像しながら歩ける


周りを散策してみると、ビルの前で荷台にペンキを塗っている男性を発見。
 


奥には網にかけられたストラップや壷、家具が無造作に置いてある


声を掛け、はま旅の説明をすると、突然「それより、土日空いてない?」とおじさま。

ここは美術工芸品店の松岡物産で、おじさまは社長の松岡さんだった。古美術品や骨董品などを扱い、主に週末の青空市場で販売しているそう。それを手伝ってほしかったそうだ。
以前は20年間、中華街で同じ店を開いていたという。「安いものは100円からあるよ」と言い、貴重なものも案内してくれた。
 


タイの珍しい仏像も。左の阿修羅の像は180万円の値札が!
 

木彫りの模様をあしらった足踏みミシンも


「靖国神社や大和駅近くで市場を出しているから、バイトにおいでよ」と誘ってくれた気さくな社長と別れ、界わいを歩く。
神奈川地区センターの前にある木の看板、これは?
 


幕府の法度や掟を庶民に知らせる「高札場」を復元したものだった


ここにも歴史が・・・そう思い、高札場のまわりを見渡すと、“あること”に気付いた。

地区センターならわかるかもしれないと考え、中へ。中には神奈川宿4kmの道のりを2000分の1に縮小した復元模型があった。撮影の許可をいただき、見惚れながらカメラを向ける。
 


 

下の写真、真ん中辺りに「神奈川地区センター」がある


神奈川宿にまつわる資料も案内していただき、その“あること”を確認し外へ。