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掃部山(かもんやま)公園ってどんな公園?

ココがキニナル!

インタビュー!(はできないけれど)井伊直弼(かもんのかみ)《横浜港を見下ろす感じで建っている銅像は圧巻》、かもん山公園などの特集が見てみたいです。(ハマっこ3代目さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

公園としての歴史は、1914(大正3)年から始まった。震災・空襲による木々の焼失、戦時体制下での銅像の金属回収という逆境を乗り越え、現在に至る

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ライター:ナリタノゾミ

紅葉坂の音楽堂・県立図書館の裏手に広がる掃部山(かもんやま)公園。
広さ2万4727平方メートル(およそサッカーコート3面分)の敷地には、春になると200本もの桜が咲き乱れる。

公園として公開されてから、緑あふれる場所、桜の名所、地域住民の心の拠り所として根付いてきた。
掃部山公園が現在の姿に至るまでの歴史を垣間見よう。
 


夕暮れ時の掃部山から横浜港方面を望む。
ビル群が建つ前は遠く川崎・鶴見まで見えたという

 


1996(平成8)年、公園敷地内に建てられた能楽堂




井伊掃部頭直弼像の憂うつ

この土地一帯は、江戸時代まで「不動山」と呼ばれていたが、明治初期に鉄道敷設に携わった鉄道技師の官舎や、機関車用の水池が設けられたことから、「鉄道山」と呼ばれるようになる。

1884(明治17)年、旧彦根藩の有志がこの土地を購入したことで、井伊家の所有地となり、1909(明治42)年に井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)の銅像が建立されたことから、「掃部頭(かもんのかみ)」にちなんで「掃部山」と名付けられるに至った。
 


横浜港を見据える大老・井伊掃部頭直弼の銅像は約11メートル(台座も含む)
 

銅像のそばにある水飲み場は、横浜市歴史的建造物の台帳に登録されている


1914(大正3)年、井伊家からこの土地一体(約1万4117平方メートル)が横浜市に寄付された。その際、銅像のそばに設置されている獅子の頭のはめ込まれた水飲み場も一緒に寄付されたそうだ。
市は植樹し、設備を整えて、同年11月に公園として一般公開した。
 


獅子の顔がはめ込まれている水飲み場。現在は飲めないので注意


さて、公園の主ともいえる井伊掃部頭の銅像であるが、いまある二代目の銅像が設置されるまで、さまざまな苦難を目の当たりにしていた。

初代・井伊掃部頭像は、1909(明治42)年、井伊掃部頭の嫡孫・井伊直忠により建立された。
ところが、完成直後の除幕式から一悶着あったのだという。

日米修好通商条約の調印を命じた井伊掃部頭は、開国の恩人か、それとも勅許(天皇の許可)を待たずに施策を強行し、反対派を弾圧(安政の大獄)した国賊か。井伊掃部頭の歴史的評価をめぐり、激論が巻き起こったのだとか。