横浜駅・西横浜駅、星川駅・上星川駅が隣同士じゃないのはなぜ?
ココがキニナル!
相鉄線の上星川と星川、西横浜と横浜、なぜ隣同士の駅でないのでしょう。普通、同じ地名があれば隣同士だと思ってしまいます。(はまっこ さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
正確な記録は残っていないが、平沼橋駅は横浜・西横浜間が開通前にでき、星川駅と上星川駅はかつて違う駅名だった為、今の並びになったと思われる
ライター:田中 大輔
JRの戸塚駅と東戸塚駅。東急東横線は白楽駅に東白楽駅。京急なら金沢八景駅と金沢文庫駅。さらに市営地下鉄の三ツ沢上町駅と三ツ沢下町駅や、上永谷駅と下永谷駅。エトセトラエトセトラ。
ほかにもいくつかあるけれど、これらは駅名に同じ地名を含み、かつ隣り合っている鉄道駅だ。
ひとつの路線で同じ地名が入っているということは、同じ地域や町内に建てられているはず。となれば、隣り合っているケースが自然なように思える。
ところが、相鉄線にはそれに当てはまらない駅の並びがあるのだ。
間に飛び込む平沼橋駅と和田町駅
その駅というのが、相鉄本線にある横浜駅と西横浜駅、星川駅と上星川駅の2組。
横浜から出発するとそれぞれ、
【横浜】→【平沼橋】→【西横浜】
【星川】→【和田町】→【上星川】
となっていて、同じ地名を持つ駅の間に名前からは関連の見られない駅が挟まっている。
どうしてこういう並びになっているのか。
相模鉄道本社を訪れ、お話を伺った。
横浜駅近くにある相模鉄道本社ビルの外観
対応してくれたのは、広報担当の飛川さんと岡野さん。
事前に質問を伝えて調べてもらっていたのだが、お二人からは「社の年史をひも解いてみたんですが、なにぶん昔のことなのでハッキリとは分からなかったんです」という残念な答え。
たびたびお世話になっている飛川さん(左)と岡野さん
しかし、お二人が集めてくれた情報からは当時の状況がある程度推測できそうだ。
さっそくそれぞれの駅間に同じ地名を含まない駅が造られた経緯を見ていこう。
横浜と西横浜が隣り合ったことは一度もない!?
まずは横浜駅と西横浜駅のケースから。
話の舞台は、今から80年ほど前の1930年前後だ。
当時、現在の相鉄線の路線を走っていたのは、相模鉄道の前身のひとつである神中鉄道。
しかし、その線路は1929(昭和4)年にできた西横浜駅までで、横浜駅まではつながっていなかったそうだ。
おなじみの相鉄横浜駅。いつも多くの人でにぎわう
そのころの横浜駅は2代目で、高島町にあった。
西横浜駅からはバスの路線があったが、このバスが神中鉄道系のものだったかは不明とのこと。
状況が変わるのは1931(昭和6)年のことで、横浜駅が移転するという話が持ち上がったタイミングだ。
横浜駅までの延伸を望んでいた神中鉄道はそれに合わせて動き出し、まず設置されたのが平沼橋駅なんだそうだ。
その2年後の1933(昭和8)年には横浜駅が現在の場所に移り、相鉄線も乗り入れを果たした。
横浜駅を出発した電車が最初に通るのが……
コチラ。平沼橋駅だ
つまり、横浜駅と西横浜駅はもともとつながっておらず、接続をする直前に平沼橋駅が間に入ったことになる。
背景として、戦前の鉄道路線では駅間を短くする傾向が強かったそうで、平沼橋駅を2駅の間に置いたのもそういった理由からではないか、とのことだった。
横浜駅から平沼橋駅へ向かう相鉄線
ちなみに、西横浜という地名は存在せず、単に“横浜の西側”という意味だそうだ。
もしかしたら、このことも間に駅を置くことへの抵抗感のなさにつながっていたのかもしれない。