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横浜のシルクロード、どの道のことを指す?

ココがキニナル!

横浜のシルクロードってどこ?とても昔、授業で質問されたがわからずじまい。ずっと気になっています。(くてくてさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

一般には八王子と象の鼻パーク間を結ぶ経路がシルクロードと呼ばれていた。八王子からは、現在の国道16号線沿いとJR横浜線沿いの2つの経路があった

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ライター:河野 哲弥

シルクのことなら、シルク博物館に



以前、シルクを使用した「横浜スカーフ」の取材で、丸加(まるか)というメーカーを訪れたことがあった。

同社取締役会長の遠藤さんは、「横浜港開港当時の日本の主な輸出品は生糸であり、多い時には輸出額の80パーセント以上を占めていた」と話されていた。
 


横浜に昔から伝わる伝統工芸品の1つ、「横浜スカーフ」


また、八王子-横浜間を結ぶJR横浜線(開通時は横浜鉄道)は、八王子に集められた生糸を横浜港に運ぶために敷設されたとも、伺っていた。

しかし、改めて調べてみると、横浜港が開港したのは1859(安政6)年である。横浜鉄道が開通したのは1908(明治41)年だから、両者の間には、ほぼ半世紀のギャップが生じてしまう。

この間、生糸は、どういった経路で運ばれていたのだろうか。
 


シルクのオーソリティを頼ってみることに


そこで、中区山下町にある「シルク博物館」に連絡してみると、「横浜スカーフ」のときには改装中でご協力いただけなかったが、今回は取材に応じてくださるという。
日本のシルクロードとはどの道のことを指すのか、早速、同館を訪ねてみることにした。



生糸を運ぶすべての道がシルクロード?

お話を伺ったのは、かつて「シルク博物館」の元部長で、現在では専門員を務める小泉先生。
 


シルク博物館の入口に立つ小泉さん


先生は、取材中しきりに「あれ、オレの声大きいか?」と気を配るほど、大変お元気な方だった。今も弁当片手に、フィールドワークを続けているそうである。そんな小泉先生が見せてくださったのが、以下の資料である。
 


日本の各地から横浜へ、続々と生糸が運ばれていた


「どこかの特定した道が『シルクロード』という訳ではないんです」と、小泉先生は話す。

その中でも、八王子-横浜間の輸送量が多かったことから、このルートが「シルクロード」や「絹の道」などと呼ばれだしたとのことだ。特に八王子市が戦後、「絹の道」を指定したことにより有名になったという。
 


八王子-横浜間の中継点、町田駅前にも「絹の道」の碑が建っている


ここでは、こうした通称「シルクロード・絹の道」にスポットを当て、もう少し詳しいお話を伺うことにしよう。