不二家レストランの1号店は、伊勢佐木町にある?
ココがキニナル!
不二家レストランの1号店はイセザキモールにある横浜センター店だそうです。伊勢佐木町に1号店を出店した経緯が知りたいです。(enさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
創業の地である元町に近かったことと、当時横浜随一の繁華街であったことから、伊勢佐木町が選ばれた。レストランの1号店かどうかは、解釈が難しい。
ライター:河野 哲弥
菓子メーカーなのに、レストラン
洋菓子でおなじみの不二家が、全国に50店舗以上のレストランを展開していることを、ご存じだろうか。
正確には、同社のグループ企業である不二家フードサービスが運営しているのだが、その1号店が伊勢佐木町にあるという。まずは、この情報から、確認していくことにしよう。
東京都文京区にある、株式会社不二家本社へ
最初は不二家フードサービスに連絡をしてみたのだが、「全体の社史に関わるものは不二家で」ということになり、都内にある同社を訪ねることに。出迎えてくれたのは、ペコちゃんとポコちゃん。子どもの頃の思い出がいろいろとよみがえり、何だか懐かしさを感じる。
創業は元町だった同社の歴史
取材に応じていただいたのは、同社CSR推進部広報室の、板橋さんと土田さん。ところが、「レストランの1号店は、伊勢佐木町店ではなく、銀座店なのでは」という。
社史を手にする、板橋さん(左)と土田さん(右)
これは一体どういうことなのだろう。
板橋さんによれば、創業者である藤井林右衛門(ふじいりんえもん)氏が、元町に1軒の洋菓子店を開店したのが、1910(明治43)年とのこと。同店はレストランではなく、洋菓子販売店となる。
当時の元町の様子、右手奥の赤い看板に「FUJIYA」の文字が見える
(画像提供:(c)新関コレクション)
屋号である「不二家」には、藤井氏の屋号と「二つとない」という意味のほかに、日本の象徴である「FUJI(富士山)」のイメージも込められているそうだ。当時ケーキなどはまだ珍しく、外国人観光客の需要を見込んでいたことが、そんな屋号からもうかがえる。実際に、利用客の8割以上は、外国人だったそうだ。
やがて1914(大正3)年になると、「ソーダ・ファウンテン」という喫茶店が、同店の隣に併設された。では、この「ソーダ・ファウンテン」が、事実上のレストラン1号店ということにならないのだろうか。
同社によれば、独立した店舗ではなく、まだ料理などを提供していなかったことからも、いわゆるレストランとはいえないとのこと。
引き続き、お話を伺っていくことにしよう。
2つの支店誕生と関東大震災
元町の店が繁盛していくと、いよいよ支店の開設が、具体的に検討されるようになったそうだ。当時、横浜の繁華街といえば、馬車道から伊勢佐木町にかけての一帯。東京なら、日本初のカフェといわれる「カフェー・プランタン」のあった銀座が、情報発信のメッカだった。
そこで同社は、1922(大正11)年に「伊勢佐木町店(現横浜センター店)」、翌1923(大正12)年には「銀座店」を、それぞれオープンした。
伊勢佐木町にある、現「横浜センター店」の外観
ところが、銀座店開店の約1ヶ月後に発生したのが、関東大震災である。これにより、元町・伊勢佐木町・銀座のすべての店舗が、一瞬にして灰になってしまったという。
その後、伊勢佐木町店と銀座店はバラック建てで再開する。元町店は失われてしまったそうだが、そうなると、伊勢佐木町店が名実共に、「1号店」といえるのではないだろうか。