日本に4ヶ所しかないフィルム映画現像所が横浜にある?
ココがキニナル!
横浜の映画フィルム現像所で「東京物語」のネガフィルムの原版が火災で消失した?どんな映画を現像しているの?内部を是非知りたい、古い名作フィルムを今も保管している?(Yokoyokoさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「東京物語」のネガフィルムの行方は不明。名作フィルムを保管している現像所内部は、フィルム映画の中に溶け込んでいくような錯覚さえする独特な世界
ライター:クドー・シュンサク
1895(明治28)年、フランスのリュミエール兄弟が「工場の出口」「列車の到着」等の作品を上映。世界ではこれが映画の始まりとされている。無声映画創始のおよそ30年後に音が加わり、10年後にカラー映画となる。撮影された映像を収めるカラーフィルムは薄い膜に塗った銀粒子を光と反応させる方式で、近年まで作り続けられていた。
現在、日本には「IMAGICA」「東京現像所」「東映ラボテック」「ヨコシネディーアイエー」の4つのフィルム現像所が存在する。
そのひとつ、「ヨコシネディーアイエー」についてのキニナル。
担当の方に取材許可をいただき、お話とともに、現像所内部も見せていただくことに。
日本に4社、神奈川唯一の現像所へ
今年で創業90周年の株式会社ヨコシネディーアイエー
東急東横線の反町駅から徒歩5分ほどでヨコシネディーアイエーに到着。
部屋へと案内していただき、まずは国内外問わず、名作として扱われ、色褪せない日本映画の金字塔「東京物語」のフィルムの行方について尋ねることに。
総務部次長の小室浩行さん
左から映像センター次長の佐野謙二さんとフィルム製作課課長の清水禎二(しみずていじ)さん
以上のお三方に「東京物語」のフィルムの行方から尋ねた。
1993(平成5)年にヨコシネディーアイエーに名称変更する前の「横浜シネマ現像所」に「東京物語」のフィルムが本当にあったのかどうかを確認したところ、佐野さんいわく「1960(昭和35)年ごろの話で、実際のところ焼失したものが原版(マスター)か、複製フィルムかも不明です。火事で焼失したというのも確かな情報ではなく、東京物語のフィルムについては“都市伝説”のような感じですかね」との回答。
インターネット上などでささやかれている「東京物語」のフィルムの行方について、横浜シネマ現像所にて焼失したという情報は確かなものではなく、所在や行方は不明な部分が多いという。
横浜シネマ商会(現ヨコシネディーアイエー)を創業した佐伯永輔氏の像
基本的に、現像所ではフィルムは保管せず、主にフィルムセンターなどの倉庫にあるという。現像所のフィルムは、制作会社から預かって「しまって」いるものだという。
現像所であるヨコシネディーアイエーは、撮影された映像の修復・保存・デジタル加工といった、映像制作におけるトータルサポートも行っている。
過去に手がけた作品の一部
直近の上映用フィルムの仕上げ(現像)は富田克也監督「サウダーヂ」や三宅唱監督「プレイバック」などのインディーズ作品を中心に、過去には「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の映画賞受賞作品で知られている若松孝二監督作品の「キャタピラー」なども手がけたとのこと。