あの頃のヨコハマ(2013年7月26日号)
ココがキニナル!
あの頃のヨコハマ(2013年7月26日号)
ライター:はまれぽ編集部
このコーナーは、過去に掲載された記事の中から、昔の横浜の街並みが分かる記事をピックアップしました。横浜の歴史を振り返ることで、さらに横浜を好きになっていただければ幸いです。
磯子区にある三殿台遺跡の歴史について教えて! 原始時代からの歴史が残る「三殿台遺跡」。1961(昭和36)年の夏、研究者・小中高生・大学生・横浜市民など約5000人による大々的な発掘調査が行われ、遺跡全体が発掘。そんな古の歴史の地である同遺跡を、名前の由来なども含めて、辿ってみました。
鶴見区馬場の「埋蔵文化財の発掘調査」って
何が埋まってるの?鶴見区馬場7丁目に、「歴史的埋蔵物発掘工事中」の看板があるのをご存じでしょうか。「菊名貝塚」という埋蔵文化財包蔵地に近いこの地を調べてみると、次から次へと歴史的埋蔵物が発見されました。歴史的ロマンが残るこの地ですが、今後はどうなっていくのでしょうか。
神奈川湊はその昔、横浜新道まで
入り海が広がっていたって本当?その昔、入江だった神奈川湊。投稿によると鎌倉時代までさかのぼると、今の横浜新道近辺までが海だったのではとのこと。そこでその歴史をさかのぼってみたところ、鎌倉時代の海岸線は、現在のものとほぼ変わらないのだとか。しかし
縄文時代までさかのぼってみたところ・・・続きは記事にてご覧ください。
富岡総合公園には以前どんな施設があったの? 金沢区の富岡総合公園にはかつて米軍施設があった?という投稿が寄せられた。そこで実際に調査を開始したところ、米軍施設は残念ながらないのだが、公園に隣接する県警の第一機動隊の敷地では、接収当時の戦争遺産である飛行艇格納庫が今も使用され続けていることが判明しました。
鎌倉で発掘された遺跡は今後どうなる? 「北条政子の邸宅跡発見!?」 そんな驚きのニュースを目にした方も多いかと思いますが、その地はマンション建設予定地なのだそう。貴重な歴史的遺跡を巡って地域住民が抗議活動をおこなっているそうですが、今後はいったいどうなるのでしょうか。遺跡の歴史を追うとともに、今後の行く末を徹底調査しました。
次回は8月2日(金)にお届けします。お楽しみに。
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都筑のふくちゃんさん
2013年07月26日 11時32分
昔の写真は参考になります。横浜市の遺跡といえば、大塚・歳勝土遺跡公園の昔の姿の写真を紹介してください。半分は、開発で現在消滅しています。