毎回変わる看板? 都筑区のまるで秘密基地のような「看板市場」ってどんなところ?
ココがキニナル!
都筑区佐江戸町中原街道沿いにある、「看板市場」が気になります。時々看板が変わるので、毎回楽しみなんです!(てるてる坊主さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
看板市場はお店の認知度を上げようと、「面白いことを仕掛けていこう」という意図で看板のかけ替えをする看板屋さん。間隔は約3ヶ月から半年。
ライター:細野 誠治
看板に偽りなし
キニナル看板の調査。はまれぽでもメジャーな案件だ。「ヘンな看板」や「何コレ」的なものまでVOW的(宝島社が発行する雑誌『宝島』に連載されている読者投稿コーナー)な興味をソソられるよね? 今回、ちょっと違うのは「時々、その問題の看板が変わる」ということ。
どう変わる? そして一体どんな看板なんだろう?
さっそく現地へ。投稿の通りに中原街道沿い、佐江戸町に向かう。
バスだと市営バス41系統「地蔵尊前」が最寄り
バス停を降りて、すぐに問題の看板が目に飛び込む。
あっ、これだな・・・とすぐに分かる
もっと近づいてみる・・・。
看板娘第五弾「絹川 麗」とある
これは通りから、よく目立つ。そして確かにキニナルよ。
キレイな方だなぁ~と、これは看板娘だなぁ~と。(テンション上がりました、はい)
縦5メートル、横4メートルという大きさ!
(ふう・・・)さて、看板を設置している看板市場さんだが、店舗は黒を基調とした落ち着いた雰囲気。そこに指し色のオレンジが目に鮮やか。
看板市場さん。通りから目立つ
そして一歩なかに入ると、雑貨屋さんにやって来たようなポップな内観。
これが面白い。
外国のオフィスのような、デザイン事務所のような
アンティークTOYにネオン看板もバッチリ
取材をお願いすると、安井様から快諾をいただく。お話を伺ってみよう。
店長の安井努氏。はまれぽ読者!
まずは看板市場が「看板製作の会社だ」ということを確認(そりゃそうだ)。
1942(昭和17)年、川崎で堀田看板店として創業(現在は3代目、堀田久史氏が代表を務めている)。
元は「映画の看板製作」をしていたそうだ(映画館で上映中の映画の宣伝看板を描いていた)。
ここ、佐江戸町に移転をしたのが1999年(平成11年)のことで、知人の紹介でこの地に店舗と工房を構えたという。
今年で72年という歴史を持つ、由緒ある会社なのだ。
前身の堀田看板店(看板市場HPより)
そんな看板市場。どうして「変わる看板」を製作して掲示しているんだろう?
「ここに看板屋さんがありますよ、という自社のアピールのための自社看板です。看板が大きいと目立ち、注目も浴びるので、認知度があがると思ってやっています」と安井氏。
ここ、佐江戸町は「ららぽーと横浜」が近い。週末になると目の前の中原街道は渋滞が起こるそうだ。
「渋滞にはまった車のなかで、少しでも楽しんでいただければな、とも思っています」
―キニナル投稿にあった「毎回、楽しみにしている」方を意識はしているんでしょうか?
「意識は、しています。少しは(笑)。面白いことをしよう、仕掛けていこうと。それで頭の隅のどこかに“看板市場”が残ってもらえれば」
かつての看板、その1/福笑い看板
「今、掛かっている看板は“看板娘第五弾”なんですが、モデルさんを起用して“看板屋さんの看板娘”ということです」
(モデルさんだったのか・・・)
かつての看板その2/We Live看板市場
―どれくらいの頻度で差し替えをしているんですか?
「約3ヶ月から半年ですね」
―看板の制作費って、どれくらいかかっているんでしょう?
「そこは内緒・・・ということで」
―次のモデルチェンジはいつごろでしょうかね?
「春ごろを。GWくらいには何とか、かな・・・」
かつての看板その3/必ず立ち上がる日本魂
震災直後、すぐに立ち上げた
それにしても、どうしてここまでするんだろう? 掛け替えには、お金だって掛かっているのに。これには「他店との差別化」が狙いとしてあるそうだ。
看板という商品は、一度店に掛けてしまうと息が長いもの。なかなか頻繁に“消費”されるものではない。そして看板製作を請け負う会社は、一般の人間が思っている以上に多いという。
大規模な店から個人経営まであるそうだ。
安井氏曰く「この近く、ウチの界わいにも、かなりの店舗がある」とのこと。
かつての看板その4/漫画看板。一般の漫画家志望者数人のコンペで募集をかけて採用された
ほかとの差別化。面白いこと、人の目を惹くこと、誰かを楽しませること、そして看板市場は“こだわり”を持っている看板製作の会社なのだ、と知ってもらうことを考えている。その想いが、店頭の看板というわけだ。ちなみに看板のデザインは、社員の皆さんがそれぞれ考え、選出されるという。