京急にも反町駅があった!? 二つの反町駅の歴史にせまる!
ココがキニナル!
昭和5年まで京浜急行には「反町駅」があったそうです。今の反町駅が出来たのは、京急よりもあとで、京急と東急二つの反町駅があった時代もあったとか。詳しく知りたいです。(ねこぼくさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
京急勃興期の駅の移動と改称の過程で1930(昭和5)年に消えていった反町駅。遺構はわずかに残っていて、市電と東横線とあわせて最大3つ存在した。
ライター:永田 ミナミ
京急にあった「反町駅」の話
いま「反町」といえば東横線の横浜のひとつ手前の駅ということになるが、かつて京急にも「反町駅」があった。しかも東横線よりも前から、というのはとてもキニナる話だ。というか実は気になっていた。
横浜駅とともに2006年3月に地下深く潜った東横線反町駅
というのも仲木戸駅の高架(京急仲木戸駅高架下に露出したレンガ積みの壁はいったい何?)について調べていたとき、すぐ隣にあった駅なので「反町駅」が存在したことを知って驚き、これは面白いと記事で少しだけ触れようかなとも思った。
しかし、仲木戸の高架と直接関係するわけではないし、残念だけどまたいつか、と思っていたらこんなに早く書けるとは。
さて、1905(明治38)年12月24日に京浜電気鉄道(京浜急行電鉄の前身)の品川~神奈川間が全線開通したとき、終点神奈川駅からは品川方面に向かって、反町駅、中木戸(現在の仲木戸)駅、新町駅というふうに駅が設置された。
「模範大横浜市全図 再版」の反町駅周辺部分
(横浜市中央図書館所蔵 提供)※クリックして拡大
上の地図は1932(昭和7)年発行のものだが、神奈川、反町、中木戸(現・仲木戸)、新町駅が記載されている。地図にはほかにも京浜電気鉄道反町駅のすぐ上に市電の反町駅、さらに少し離れた上を、カーブを描くように走る東横線の反町駅と、3つの反町駅が記載されている。
早くも「反町駅」の存在が確認できたが、ここに記載されている情報は事実とは少し違う。
京浜電気鉄道の反町駅は地図では滝野川より横浜側にあるが、実際の「反町駅」は滝野川より品川側にあった。この「反町駅」は本当は「神奈川駅」で、ただし地図の「神奈川駅」とは異なる「青木橋駅」だったほうの「神奈川駅」で、さらに1932年時点での正確な名前は「京浜神奈川駅」で……ううむ、こんなに「百聞は一見に如かず」とはよく言ったものだ、と思ったことはそうない。
地図で見たほうがわかりやすいかもしれない
この当時の事情は、文章で説明するにはちょっと複雑すぎるので、現在の地図を見ながら時系列に沿って説明することに。
ただし100年以上前のことなので、以下の地図には首都高は走っているが、市電は走っていないし、海岸線や道路はもちろん、駅の位置や線路の位置も若干異なるといった相違点がある。
また、電気軌道(路面電車)として出発した京浜電気鉄道は、初期においては駅ではなく「停留所」という呼称も一般的だったが、ここではすべて「駅」という呼称を使用することにする。
それではまずは現在の地図から出発進行。
1. 現在
神奈川駅は青木橋の品川側にあり、次の駅は仲木戸駅である
ここから109年前の1905(明治38)年に遡ってみると、次のようになる。
2. 1905(明治38)年12月24日
品川~神奈川間が全線開通したころ
開業当時の終点は神奈川駅で、まだ横浜駅とは繋がっていない。横浜駅はまだ初代(現在の桜木町駅)なので、地図よりもう少し下の位置にある。また、神奈川駅の位置も現在とは異なり、青木橋より横浜寄りにあった。
そして滝野川の品川側に今回の主人公、京浜電気鉄道の「反町駅」があった。