鶴見神社でお宝がザックザク!? ご神木の根元から発掘された「秘宝」の正体とは?
ココがキニナル!
鶴見神社にあった大きな4本のケヤキの木。昭和30年代に全て切られてしまったそうですが、木の根元から宝がたくさん出て来たそうです。この宝は何だったのでしょうか?(ねこぼくさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
ケヤキの根本から出たお宝は、弥生時代・古墳時代の神前の祭事に使われたと思われる土器。現在は、神社の寶物殿(ほうぶつでん)に収納されている
ライター:橘 アリー
古い歴史のある神社!
今回のキニナル調査は、神社のケヤキの木の下から出てきという“宝物”について。
“木の下から宝物が出てきた!”というのは心ときめく話だが、そんなおとぎ話のようなことが本当にあるのだろうか?
どんな宝物なのだろうか!?(ケヤキの木のイメージ・フリー画像より)
さっそく鶴見神社でお話を伺うことに。
鶴見神社はJR鶴見駅と京急鶴見駅から徒歩5~6分で行くことができる。
鶴見神社の全景
対応してくださったのは、宮司の金子元重(もとしげ)さん。
快くお話を聞かせてくださった金子さん
まずは、鶴見神社について。
鶴見神社の創建は、今から数えて約1400年前の推古天皇の時代のことと言われていて、鶴見神社という名前になったのは1920(大正9)年。それまでは杉山大明神と呼ばれていたそうである。
そして、この神社では、五十猛命(いたけるのみこと)が御祭神である杉山大明神と、素戔嗚尊(すさのうのみこと)が御祭神である天王宮(てんのうぐう)の二社を相殿(あいどの:二柱以上の神さまを祀っていること)している。
また、天王宮には大神輿があり、これははるか大昔に鶴見川に流れついたという言い伝えがある横浜最古の神輿であるようだ。
横浜最古の神輿
修復はされているようだが、こんな立派なお神輿がどこから流れて来たのだろうか?
ちなみに、このお神輿のことを記録した資料などは残っていないそうだ。
鶴見神社はとても歴史が古いと分かり、どんな宝物が出てきたのか、ますますキニナってくる。
源頼経が奉納したというケヤキの木
源頼経(みなもとのよりつね)とは、鎌倉幕府4代将軍・藤原頼経のこと。源頼家の娘・竹御所(たけのごしょ)を妻にめとったため、源頼経と呼ばれることもある。鶴見神社の伝承は、この名前で語り継がれているという。
頼経は1241(仁治2)年に鶴見神社(当時は杉山大明神)を参詣し、「吾れの如く大きくなれ」と、ケヤキの木4本と富士塚(富士山信仰のシンボルとして造られた小高い山)を奉納したと伝えられているそうだ。
源頼経が奉納したと伝えられているケヤキの木の一つと富士塚(提供:鶴見神社)
宝物は、上の写真のケヤキの木の根本から出てきたそうだ。
このケヤキの木が切られたのは1962(昭和37)年のこと。ほかの3本のケヤキの木はそれ以前に切られているが、詳細な時期などの記録は、横浜大空襲で焼失してしまい残念ながら残っていないとのこと。
ケヤキの木が写真で残っているのは
赤丸の4本がケヤキの木(大正末期の写真。提供:鶴見神社)
赤丸の2本がケヤキの木(1937〈昭和12〉年の写真。提供:鶴見神社)
ケヤキの木があった場所は
現在の写真で示すと赤丸のところ。右下の黄色い丸のところが宝物が出てきた場所
続いて、宝物が出てきた経緯について。
ケヤキの根元から出てきた宝物とは・・・?≫