秘境を越えて横浜から鎌倉へ、オススメのハイキングスポットを大仏が調査! ゴール編
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行楽シーズン到来! オススメのハイキング、ピクニック スポットを教えて♪(yakisabazushiさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
歴史の足跡を踏み、若き日を思い歩く大仏は、ついに建長寺の半僧坊に至り鎌倉市内へ。大仏ビールと腸詰で乾杯して再び21世紀の大仏となるのだった
ライター:永田 ミナミ
前回までのあらすじ
初夏の陽気に誘われ1年ぶりに街に繰り出した大仏は、横浜へ向かう車窓越しに大船観音が教えてくれた鎌倉に至るハイキングコースを歩いて帰ることにした。
新緑の息吹にむせぶ山道の螺髪(らほつ)に沁みる鶯の声 大仏
「本郷車庫」でバスを降りた大仏は緑に包まれた山道を歩き、横浜最高峰の「大丸山」でおにぎりを食べひと休みひと休み。腹ごしらえをすませるとまた尾根道を1時間ほど歩き、東郷平八郎が別荘を建て「天園」と名づけた地にある「峠の茶屋」を訪ねた。
混ぜ方があまくて辛き和芥子(わがらし)に緑青濡らす阿弥陀の涙 大仏
茶屋では絶品のとうもろこしと、ところてん、そして絶景を味わい、身も心も満たされ再び歩き出したとき大仏の目に飛び込んできた案内板によって「天園」が「横浜最高峰」の大丸山より2.6メートル高い「横浜市内最高地点」であることを知ったのだった。
大平山を越えて
さて、最高峰と最高地点の謎が解けてすっきりした大仏はご機嫌な旅を再開
ここから先もしばらく右は横浜市で左は鎌倉市の歩きやすい尾根道をゆく
そして木漏れ日がきれいで快適な山歩きを4分か5分。右側の視界が突然開けた
それは鮮やかな芝生の斜面とティーグラウンドであった
ときどき森の隙間から住宅街や墓地を見やりつつ歩いてきたものの、山道を縫う古道の趣にどっぷり浸かって歩いてきた大仏は目の前に広がる光景に驚いて「南無三」とつぶやいた。
なるほどゴルフを楽しむ人たちにしてみれば、こんなに眺めのいいところからボールをかっ飛ばすのはさぞかし気持ちいいことだろう。
かっ飛ばす先にはランドマークタワーが見えるという素晴らしい景観
かたや人里を離れ自然と800年前の記憶を懐かしみ歩いてきたゴルフを知らない大仏は、突然の風景の変化に面食らったのであった。そして岩を削り、伐り拓いた古の鑿(のみ)の跡を思い、800年の間に人間が身につけた力の大きさを思うのであった。
ゴルフ場に面した山道には今まで歩いてきた道のりで唯一の公衆トイレがある
ゴルフ場を過ぎるとしばらくして空が開けてきて引き続き歩きやすい道行き
その先はさらに開けて、広場のような空間になった
上の写真の右側には大きな建物があり、ゴルフ場の施設のようだった。この広場はもともとこういう場所なのか、鎌倉時代に見晴らしのいいこの場所を平場としたのか、それともゴルフ場が作られたときにこうなったのかは分からないが、広々とした気持ちのいい場所である。
ちなみにこ夕暮れ時にはこの広場の向こうに
こんなふうに富士山が見えたりする絶景ポイントでもあるのであった
さて、気持ちいい広場を気持ちよく歩いていくと視線の先に何やら見えてきた
あれ行き止まりかな、と思いきや斜面の途中に人がいるではないか
壁のように立ちはだかる岩場を前に道を間違えたかと思ったが、その岩場に人がいるということはつまりここもハイキングコースということだ。
「ようし」と言って腕や足首を回し軽くストレッチをする大仏。今までのようなやさしさに包まれたコースばかりではないとなれば、大仏の体にもアドレナリンが漲(みなぎ)るのだった。
剥き出しの地層が浮かぶ岩肌を階段に見立てファイト一発 宍戸仏
小さい頃は仏さまがいて不思議に夢を、と口ずさむも息が切れる大仏は
悟りを開いて静かな木洩れ陽の、と中腹で見事な山景にひとはしゃぎ
登りきって振り返ればこの景色。左側はゴルフ場施設なので右側をなるべく
そういえば峠の茶屋の小檜山(こびやま)さんが「春山、夏山登山の練習としてこのハイキングコースを歩く人も結構いる」と話していたことを思い出した。なるほど納得の斜面である。
崖のような斜面を見降ろし、登りきった満足感を噛み締めた大仏が進むべきほうに視線を向けると、ゴルフ場との境のフェンスに何か書いてあることに気がついた。
近づいてみると、そこには控えめながらしっかりとした筆致で「大平山」とあった。鎌倉市最高峰である。
海抜159.2メートルなので横浜市内最高地点のほうが20センチ高い
そんなのはまあ誤差だよと春霞どちらも同じうららかな午後 大仏
見晴らしのいい場所から眺めるとだいたい視界に入るランドマークタワーのランドマーク力の高さにつくづく感心して歩きはじめると、道はまた深い森のなかへと潜り込んでいった。
大平山を越えれば市境ではなく、この森はもう完全に鎌倉市
急な斜面は慎重に足を運ぶ。急であればあるだけ鎌倉時代に近づく気がした
そして静かな森のなかを木漏れ日を浴びながら歩くこと約10分
岩を削り伐り拓かれた重厚な道の向こうに現代の標識が見えてきた
建長寺まであと1.2km。来たねえついに来たねえ
800年前の切通しにあのころを思い出しながら、現代のゴシック体フォント3外国語表示付きの案内板を見てほっとしてみたりもして「ああ、こんな気持ちうまく言えたことがない」と内と外が少しちぐはぐな大仏であった。
鎌倉古道の趣
さて、建長寺まで1.2kmとなると長かった旅があっという間だったような気がしてきて名残惜しくなるのは道理というものか。しかしゴールが近いことを知った大仏の足取りは自然と軽くなり、思っていることとやることもいい意味で少しちぐはぐなのであった。
リックサック背負って山歩くリックサック緑の DÄ-IBUTSU
センチメンタルな気持ちを振り払うように鼻歌を歌いはじめた大仏の前に気になる大岩が現れた。
おや、あの四角く溝のようになっているのは天然だろうか人の仕業だろうか
やぐらをつくるつもりで輪郭を掘ったところでやめてしまったものだろうか
先日の『ブラタモリ』鎌倉編でも「鎌倉石」とよばれる凝灰岩(凝灰質砂岩)が加工しやすく火に強いため敷石などの資材として重宝された、という話が出てきていたが、市境広場を過ぎてからたびたび現れる切通しやこうした岩肌など、随所にその面影が偲ばれる。
さらに歩いていくと、またもや何やら面白そうな巨大な岩が見えてきた
これはすごいねえ。この削り取られた断面の美しさをごらんよ、と大仏
この部分は道幅を確保するために削り取ったのだろうか。崖を完全に切り崩すことなく、庇(ひさし)状に上部の岩を残しているところが面白い。「にわか雨に遭った人がここに駆け込んで、しばし雨宿りをしたなんてこともあったかもしれないね」と大仏は岩肌を撫でた。
それにしても美しい地層だねえ。時間は蓄積するものだということが分かるね
その先も山道を進むたびに加工されたさまざまな表情の岩が現れ、大仏の目を楽しませた。
この道は鑿で削られたものが風雨と人の歩みによってまるめられたのかな
この岩肌に段を刻み込んだ味わい深い石段も古の人たちの工夫の跡だろうか
などと言っていると今度は前方に行く手を阻むような巨大な岩が見えてきた
ここにあった岩を真ん中にくるように道を通して馬止めに利用したのかな
螺旋状に溝が刻んであるように見えるけど綱を巻いてここに運んだのだろうか
この根も見事だねえ。幹は枯れたのか切られたようだけど残す価値ありだね
天園を出発して午後3時半ごろに大平山の頂に立ったあと、やぐらを作りかけたような岩肌、ミルフィーユのように地層が露わになった岩肌、味わい深い石堀階段、ソフトクリームのような巨石、見事に張った木の根はすべて数分おきに現れ、そのたびに大仏は「やあ、これは」「ほほう、素晴らしい」と感嘆の声を洩らすのだった。
鎌倉の山道は見応えあるなあ、と言っていたら建長寺まであと0.7km