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秘境を越えて横浜から鎌倉へ、オススメのハイキングスポットを大仏が調査! ゴール編

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行楽シーズン到来! オススメのハイキング、ピクニック スポットを教えて♪(yakisabazushiさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

歴史の足跡を踏み、若き日を思い歩く大仏は、ついに建長寺の半僧坊に至り鎌倉市内へ。大仏ビールと腸詰で乾杯して再び21世紀の大仏となるのだった

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ライター:永田 ミナミ

ラストスパートは見所満載



残り1kmを切って名残惜しさとゴール間近の興奮とはますます高まるばかりだったが、建長寺の門は午後4時半に閉ざされることを思い出し、ゆっくり歩きたくなる気持ちを捨てすたすたと歩きだした。

しかし、この700メートルにはこの旅最大の遺跡が待ち受けていたのである。
 


あとわずかとはやる気持ちを見透かして急がば回れと山道が言ふ 大仏
 

こんなリュージュのコースみたいな岩道、これもやはり人が削り出したのかな
 

右側の地層もたまらないね、と途中の木につかまり微笑む大仏
 

ところがまだまだこんなものではなかった。そこから歩くこと約2分
 

目の前に立ちはだかったのは右側にロープが取り付けられた岩壁


岩を削り階段状に加工してあるのでロープなしでも登れないことはないが、その横にロープを添える現代の仕事によってより登りやすくなっている。
 


なるほどこんな感じで登っていくわけか。ええと、ちょっと視界があれだな
 

半眼の視界では登りづらいと判断し、しばし還俗して安全に縄をたぐって先へ


ところがまだまだこんなものではなかった。冒険的な岩壁をよじ登ってからわずか1分。次に現れたのは立派なやぐらだった。
 


山道から一段上がったところにそれはあった
 

近づいてみるとなかにはどうやら仏像がならんでいるようだ
 

いまも手入れされ供物も置かれているね、ありがたいと合掌した大仏は
 

立派だねえと帰りかけて、右側からさらに一段上がれそうなことに気がついた


登ってみるとそこは塚のようになっている頂上で、そしてそこには何とも立派な弘法大師像が置かれていた。
 


台座には「第八十八番薬師如来像 讃岐国大窪寺」とある


「第八十八番」からも分かるように、大窪寺(おおくぼじ)といえば四国八十八箇所霊場の終着点、第八十八番札所である。ここは重要な位置づけのやぐらにちがいない。

そういえばやぐらのなかにあった像も、廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)の影響かすべて頭部が失われていたが手の位置などはこの弘法大師像を同じようなので、弘法大師像であるように思われた。
  


弘法大師像の背後には密教を象徴する五色の旗もあった
 

そして「やあ、実に素晴らしかったね」と還俗して急な石段を下りていく大仏
 

そして振り返るとやぐらの右上に「法王屈(窟)」とあることに気づいた大仏
 

おお、よく見るとやぐら入口の上にも縦書きで法王と書かれているではないか

 
ところが、これはこの先に待ち構えているものの言ってみれば序章のようなものだったのである。弘法大師像に挨拶をして歩いて1分ほどで、ゴシック体ではない道標が現れた。
 


「右 建長寺道 二十一ヶ所四ばん(変体仮名)」とある石の道標
 

裏側は「左 覚園寺道」の両側に「八十八ケ所 三十一ヶ所三ばん(変体仮名)」
 

この道が本当に覚園寺に続いているのかな、と細道を大仏が首を傾げていると
 

大仏をすっと追い越して躊躇なく覚園寺道に踏み込んでいく男性あらわる
 

「施主」と思しき文字の下の小さい文字は風雨の悪戯でところどころ読めるのみ


建長寺道の「二十一ヶ所四番」は不明だが、覚園寺道の「三十一ヶ所三番」は「鎌倉二十四ヶ所地蔵霊場」と「三番」の部分が共通する。この「二十四ヶ所」は明治時代に廃仏毀釈で多くの地蔵が破壊されたのちに新たに定めたもののようなので、もとは「三十一ヶ所」だったのかもしれないがやはり不明である。

「八十八ヶ所」「二十一ヶ所」「三十一ヶ所」については鎌倉に帰ったら改めて調べてみよう、とひとまず閉門が迫る建長寺道を急ぐ大仏であった。