保土ケ谷区の地下に今でもハマスタ100個分以上の埋まっていない巨大な坑道があるって本当!?
ココがキニナル!
保土ヶ谷の星川界隈には地下坑道があり、台風で陥没被害も出ていることを知りました。横浜市が主体となり埋戻しが行われたそうですが今はどうなんでしょうか?(町田県民さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
保土ケ谷区星川近辺にある地下坑道の埋め戻し作業は、2001(平成13)年か2002(平成14)年に終了している。明確な時期は不明である。
ライター:三輪 大輔
「10年以上前の出来事になるため、関連する資料が保管されておりません」。保土ケ谷区にあるという地下坑道の埋め戻し作業に関して横浜市役所に問い合わせたとき、そのように横浜市危機管理室の担当者が説明した。そして次の会話で、電話は切られることになる。
「私たちも状況が分からないため、回答することができません」
キニナル投稿にあった文献『保土ヶ谷と地下坑道』
しかしキニナル投稿にあった『保土ヶ谷と地下坑道』には、確かに保土ヶ谷区には300ヘクタール(300万平方メートル。横浜スタジアム約114.5個分)に及ぶ地下坑道が張り巡らされていると書かれている。
それでは保土ケ谷区の地下坑道は、いつできて、どのような経緯を辿って終息を迎えたのだろうか。そこで『保土ヶ谷と地下坑道』の発行者でもあり、1999(平成11)年から2003(平成15)年までは横浜市議会議員を務めた手塚勇夫(てづか・いさお)さんに話を伺うことにした。
保土ケ谷の地下坑道を巡る問題
「地下の壁を触るとサラサラと砂が流れ落ちます。大人が横に3人並んでも、十分に余裕のある広さです。とても大きな穴で立ちあがって歩くこともできました」
手塚さんが保土ケ谷区の地下坑道に降りた日を振りかえりながら、このように話してくれた。
保土ケ谷区の地下坑道を巡る問題に取り組んできた手塚さん
その保土ケ谷区の地下坑道は1990年代前半、立て続けに存在が確認される。初めに発見された坑道について手塚さんが説明をしてくれた。
「1990(平成2)年、横浜星の丘ビューシティというマンション建設時に、保土ケ谷区の仏向町(ぶっこうちょう)1700番地辺りを大型車両が走る必要がありました。そのため地下をボーリング調査したのですが、地下に空洞が存在することが判明しました。浅いところは地上まで3メートルしかなかったそうです」
保土ケ谷区仏向町1700番地あたりの地図
そう言うと手塚さんは、現地周辺の地下坑道の地図を見せてくれた。
手塚さんの手元に残る仏向町の地下坑道の様子
「赤い箇所が道路で、その間には住宅が建っています。画像の灰色に塗られた部分が全て地下坑道ですが、浅いところ(画像の濃い色の部分)を中心に埋め戻しが行われました」
埋め戻しは建設残土とセメントを混ぜた「流動化処理方法」で行われた。なお住宅の真下にも広範囲に渡って地下坑道が走っているが、建設時に施工業者が事実を把握していたかどうかは不明でだそうだ。
問題となった保土ケ谷区仏向町1700番地付近
この事実が発覚すると1991(平成3)年8月6日に、保土ケ谷区星ヶ丘自治会とマンション建設対策協議会により、横浜市役所に「保土ケ谷区の地下坑道を調査してほしい」という陳述書が提出された。そして1992(平成4)年から1993(平成5)年にかけて、横浜市が現場で地質調査を実施する。
『保土ヶ谷と地下坑道』には、1994(平成6)年の予算特別委員会・総務局審査で行われた答弁の様子が記載されているので一部抜粋して紹介する。
答弁内容が記載されているページ
「地下坑道の調査結果でございますが(中略)、約1km以上にわたって碁盤目状に坑道跡がある」と田口総務局長(当時)が回答し、次のように続けた。「薄いところで約3m、厚いところで約15mで、一部放置すると崩れる可能性のある個所も見かけられるという状態でございます」
そして1995(平成7)度の緊急災害対策の事業費に関しては「災害防止のための工事を行うことで、そのための経費4200万円、それから仏向町以外の周辺で同じような坑道があると言われておりますので、その概略調査を行うための調査経費が1000万円で合計5300万円」であると回答している。
保土ケ谷区で確認されている地下坑道がある場所
その後、川島町や峰岡町、星川1・2丁目などでも地下坑道の存在が確認され、埋め戻しが行われる。キニナル投稿にあった陥没被害は、1949(昭和24)年のキティ台風によって川島小学校の校庭で起きた。それを契機に川島小学校は移転をし、跡地には川島公園が建設される。この時、その川島公園でも埋め戻しが行われた。
しかし、こうした事実は広く公表されていなかった。だた、保土ケ谷区周辺では川島小学校の事例をはじめ、以前から坑道の存在を思わせる事案はあったそうだ。
そんな保土ケ谷区の地下坑道が世間で注目を集める契機になったのは、2001(平成13)年に神奈川新聞が大々的に報じてからだ。同じ時期、手塚さんは2001年予算第二特別委員会・総務局審査で、三箸(みはし)総務局長(当時)に横浜市の地下坑道への対応について質問を行っている。
現在の保土ケ谷区明神台2丁目付近
その回答では「仏向町につきましては1994(平成6)年、1995(平成7年)度、川島町につきましては1995年度、峰岡町につきましては1996(平成8)年度から1999(平成11年)度に地下坑道の埋め戻しなどの安全対策を講じた」と述べられた。
また「星川1・2丁目の民有地の地下坑道につきましては、本市として2000(平成12)年度より安全対策に着手しており、引き続き、2001(平成13)年度以降も実施」していくと回答がある。
手塚さんは明神台団地の建て替え工事時に、地下47メートルの坑道に降りた。そして冒頭に記載したように、あまりの大きさに驚いたそうだ。
手塚さんが地下坑道に降りて現地調査を行っている
300ヘクタールにも及んで存在が確認された保土ケ谷区の地下坑道。それでは、どうして保土ケ谷区の地下坑道はできあがったのだろうか。その謎についても手塚さんが答えてくれた。