二俣川にあったという「伝説の学ラン屋」とは?
ココがキニナル!
旭区二俣川に横浜のやんちゃ坊主が集まる伝説の学ラン屋サトーがあるらしい。チャンプロードにも載っていたお店だとか? いったいどんなお店なのかキニナル!
はまれぽ調査結果!
1969年開店、チャンプロードに掲載され全国的な有名店になった「サトー」。時代の流れで2011年閉店。店主の佐藤輝雄さんは今もバリバリだ!
ライター:はまれぽ編集部
不良、ヤンキー、ツッパリ・・・1970年代~80年代はやんちゃな漢たちがそう呼ばれ、竹の子族、横浜銀蝿やなめ猫、『ビー・バップ・ハイスクール』などが流行。大きな社会現象にまで発展していた時代だった。
その当時の少年たちは学生服、学ランで個性を主張していた。変形学生服、いわゆる長ランや短ラン、ボンタンである。長ランは標準の学生服より丈が長いもの、短ランは丈の短いもの、ボンタンはワタリ幅が広く、スソ幅が細くなっている学生ズボンのこと。
短ランとボンタン
そして横浜でそんな時代を象徴するのが「サトー」という伝説の洋品店だという。横浜のやんちゃな少年たちがこぞって「サトー」に訪れていたのだ。
不良漫画といえば『湘南純愛組!』より『カメレオン』派の筆者としてこれはキニナル!
早速旭区二俣川にブッコんで行くんで・・・
ヨロシク!
「サトー」は以前1000ぶらで訪れた「二俣川銀座商店会」にあるという。そのときは気が付かなかったが、そんな伝説のお店を見逃したことが悔やまれる。
ということで現地に向かうと・・・
あれ? 駐車場?
事前に調べていた住所ではここであっているはず。念のため、近所でお話を聞くことに。
隣の喫茶店『温故知新』の店主・宇佐美尚雄(うさみ・たかお)さんに伺うと「サトーさん? 4~5年前に店を畳まれましたよ」という衝撃の事実が明らかに。
ちなみに「サトー」って有名なお店だったんですか、と尋ねると「お店がある時はいつもにぎわっていました。近隣だけでなく遠方からもお客さんが来ていたみたいですよ」と当時の話も聞かせてもらえた。
駐車場の隣は喫茶店「温故知新」
やはり噂通り、横浜のやんちゃな少年たちにとって伝説のお店だった模様。そうなれば、昔からこのあたりに住んでいる近所の方にもいろいろなお話が聞けそうだ。もしかしたら「サトー」の現在についても何か掴めるかもしれない。
消えたサトーを求めて
早速、二俣川銀座商店会にある近隣のお店に「サトー」の想い出を尋ねて回った。
「『チャンプロード』っていう雑誌に載っていて、日本全国から注文が殺到していたみたいですよ。いつも多くの若者がお店にいましたね」
「閉店後もしばらくはお客さんが来て、サトーを探してたよ。『このへんにサトーってお店ありませんか?』とよく聞かれたなあ」
地元が保土ケ谷区という方は「藤棚の宝屋と二俣川のサトーが、横浜の二大学ラン屋だった。よく先輩に連れられて店に行きましたよ」とのこと。
多くの人が行き交う相鉄線二俣川駅前
道行く若い世代では「サトー」のことを知らない人が大半だったが、お店の方や30代以上のみなさんは「サトー」についてよく知っていた。聞いた話をまとめると、やはり横浜を代表するような相当な有名店であった模様。さらに聞き込みを続けると有力な情報にたどり着いた。
横濱焼肉食堂
「サトー」跡地の斜め向かいにある「横濱焼肉食堂」の店主・竹村純生(たけむら・すみなり)さんと奥さんの美帆(みほ)さん。
美帆さん。奥には仕込み作業中の純生さん
純生さんは以前、実際に「つなぎに刺繍を入れてもらったことがある」という。当時、ほかの洋品店では、持ち込んだ洋服などへの刺繍を断られることもあったようだが「サトー」だけは刺繍を引き受けてくれたそうだ。「通販もやっていて、全国的な知名度だったから、店先がデコチャリややんちゃなバイクだらけになることもありましたね」とその当時を思い返す。
美容室「milk」
その後、美帆さんに連れられ「milk」へ。店長の堀川由江(ほりかわ・よしえ)さんも現在の「サトー」店主についてよくご存じだそうだ。
商店会が一つの家族のように仲が良い
お二人の話から「サトー」の店主である佐藤輝雄(さとう・てるお)さんが、かつて二俣川銀座商店会の商店会長も務めておられたこと、そして佐藤さんは今もこの近辺にお住まいで「ヴェ○サーチのジャージを着て自転車で走り回っていますよ」という事実が明らかとなった。
ということは佐藤さんに会えるかもしれない! 後日、この予感は現実のものとなった。