神社なのに100年以上前からある立派な釣鐘? 都筑区南山田にある「山田神社」とは?
ココがキニナル!
都筑区南山田にある「山田神社」には、お寺にあるような大きな「釣り鐘」があります。釣り鐘は神社ではあまり見ないと思いますが、どのような由来のある釣り鐘なのでしょうか?(ねこぼくさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
1910年に近隣の神社が合併し、妙見社という神仏習合の神社が建っていた場所に山田神社が建立された。釣鐘は妙見社のころから設置されていた。
ライター:小方 サダオ
都筑区に鎮座する山田神社
「ゴーン」と鳴る鐘の音、といえばお寺を連想するといえよう。
神社から聞こえてくるのはイメージしづらいが、都筑区の山田神社には釣鐘があるという。
中原街道沿いにある、山田神社(青矢印)
その、神社なのに普通はお寺にある釣鐘が設置されている理由を調べるため、現地に向かった。
小高い丘の上に続く神社の参道
横浜の副都心ともいわれる、成長著しい港北ニュータウンがある都筑区。
その区内、綱島街道の丸子橋へとつながる中原街道沿いに、山田神社はあった。
参道の傍らにはお地蔵さんが祀られている
中原街道の流れとずれて斜めに入る形で、大きな鳥居の後ろに社殿への参道が続いている。
山田神社の鳥居
参道沿いに配置された狛犬
階段をのぼりきると、一対の狛犬が出迎えてくれたが、その後ろの一段高い場所に二の鳥居を発見。
二の鳥居
そして二の鳥居のうしろに三の鳥居が・・・。
三の鳥居
四の鳥居
さらにその奥にある四の鳥居の先に進むと、ついに最後の五の鳥居があり、その奥に社殿が姿を現した。
五の鳥居
山田神社の社殿
300メートルはあるだろう参道
それぞれの鳥居は階段を上った後ろに控えている。
四段階に高くなっていく長い参道を進んでいると、山の上に位置する神域に徐々に近づいていく感覚を覚えた。
鐘突きのお堂
鐘突き棒が外されている
そして社殿の向かって左側に、投稿のようにお寺で見かけるお堂と鐘が設置されていた。
しかし鐘突き棒が外されていて、普段は釣鐘が鳴らせないようになっている。
そこで境内で掃除をする男性にお話を伺うと、その方は、現在の山田神社の氏子(神社の祭祀区域内に住み祀る人)の小泉正治(こいずみ・まさはる)さんだった。
小泉さんからいただいたパンフレットには、次のような解説があった。
山田神社由緒の碑
由緒に関しては「1910(明治43)年、村社神明神社外、860(貞観2)年創建の諏訪神社をはじめ、八幡神社、稲荷神社など13社とともに、妙見社(みょうけんしゃ)の地に合祀 (ごうし:いくつかの神社を合わせ祀ること)すると同時に、山田神社と改称した。妙見社は花園天皇の1445(文安2)年、諏訪山大普門院観音教寺第八十五世正応僧正により、秩父郡大宮町の妙見社の御分霊を奉遷鎮祭したもの。また1990(平成2)年3月には、本殿が横浜市歴史的建造物に登録される」と書かれている。
山田神社の社殿
釣鐘に関しては「山田神社には、妙見社のころからの大きな釣鐘があった。現在のものは4代目である」という。
「大東亜戦争のころには物資不足による金物類供出(きょうしゅつ)により供出命令が出されたが、米軍機が妙見社の低空を飛来することがあったため、村のおもだった人々が集まり、非常時の警鐘として必要との結論を出し、これが認められ不供出となった」とある。
大きな釣鐘は、戦中には警鐘として残され、現在では大みそかにお参りに来る参拝者が突いている。その釣鐘はもともと妙見社という神社にあったものなのだ。
合祀前(1910〈明治43〉年以前)の地図に記された妙見社
そして小泉さんが、妙見社とは神仏習合(じんぶつしゅうごう:神道の神と仏教の仏を融合させた信仰)の神社であることをつけ加えてくれた。
次に小泉さんが特別に本殿を見せてくれた。
山田神社の本殿
仙人像の彫刻
亀の彫刻などが施されている
1842(天保13)年の造営されたという本殿
薄暗い社殿の奥に、本殿が納められていた。
明かりをつけると暗がりに浮かび上がる、仙人像などの精巧な彫刻が目を引く。
江戸時代末期の貴重な建造物として、有形文化財建造物の指定を受けている。
社殿内に収められた2代目の釣鐘
奉納された亀の絵馬
社殿内には、なぜか亀の絵馬が多く奉納されている。
静かな社殿内に納まる本殿を目にして、厳かな気分で、小泉さんにお別れをした。