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閉店が決まった横浜の名料亭として名を馳せた「あいちや」の歴史とは?

ココがキニナル!

横浜駅西口にある日本料理店「あいちや」。あいちやさんの歴史や料理が気になるのでレポートをお願いします!/今月いっぱいで閉店するみたい。様子を見てきて!(maniaさん/5656さん/今宵月男さん)

はまれぽ調査結果!

後継者問題により、2016年1月に閉店が決まった料亭あいちや。建物、しつらえ、料理、器、書画、もてなしなど、全てに格の高さを感じさせる店だった

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ライター:吉澤 由美子

横浜駅西口から徒歩10分ほど、戦後まもなく創業し、横浜の名料亭として名を馳せてきた、西区にある「あいちや」が66年の歴史を閉じる。

 

徒歩10分ほどの場所(Googlemapより)
 

趣ある入口
 

風情ある和建築、四季を感じさせるしつらえ、配慮の行き届いたもてなし、それぞれの献立を引き立たせる数々の器、そして日本料理の粋を感じさせる味。

ミシュランに何度も掲載されたあいちやの料理や歴史、閉店に対しての思いなどを店主の岩井昭廣(いわい・あきひろ)さんに伺ってきた。



横浜駅西口近く、雑駁なビルに囲まれた別世界



雑居ビルが立ち並ぶ西口の喧騒の中に、ひっそり佇むあいちや。風情ある和建築が独特の存在感を放っている。
 


周りにはビルが立ち並ぶ
 

門をくぐって異空間に足を踏み入れる

 
石畳を踏んで中に入ると、お香の柔らかい香りに包まれた和の空間が出迎えてくれる。
 


分厚く幅広い一枚板の框(かまち)に料亭としての高い格を感じる
 

畳が敷かれた廊下をたどる

 
各部屋は大小の個室に分かれており、それぞれの部屋は廊下との間に次の間を持っている。空間を贅沢に使っているからか、部屋に入ってしまうと表の喧騒はまるで聞こえず、静謐(せいひつ)とした時間がゆっくりと流れている。
 


空間を贅沢に使用

 
「1949(昭和24)年創業で、建物は何年かかけて増改築しています。天井に幅の広い一枚板を使っているなど、消防法が厳しくなった現在ではもうできない建築ですね」と岩井さん。
 


店主の岩井さん

 
部屋には南天の絵がかかっていた。色彩の乏しい冬に青々と葉を茂らせ、赤い実をつける南天は、難を転じるといういわれもあり、お正月には欠かせない植物だ。
 


壁にかかる絵にも意味がある

 
「うちでは毎月2回、献立を変えます。部屋の絵などもそれに合わせて変えています。平山郁夫(ひらやま・いくお)や片岡球子(かたおか・たまこ)などの絵を楽しみに来店くださる方も多いんですよ。全ての部屋のしつらえを変えるので、絵だけとってみてもかなりの枚数がありますね。書画や器に関して、一つひとつの価値だけでなく、その種類の多さを高く評価してくださる方が多く、ありがたいと思っています」

その基礎を作ったのは、創業者であり、経営を担当した岩井さんのお母さん。
 


日本画家の酒井三良(さかい・さんりょう)の『宝船』

 
「母は借金を一度もしたことがないという堅実な経営をしていて、書画や器の蒐集(しゅうしゅう)に関しても堅実でした。特に買うものがなくても毎月、輪島塗の工房や備前や清水の窯元などに送金するんです。欲しいものが出てきた時にそれを使って買う。一気にお金を工面するのは大変ですが、こうしておけば一流のものを無理なくそろえられる」

日本料理は季節や献立に合わせて、さまざまな器を使い分ける。器がどれだけ豊富にあるかで、献立の自由度は高くなる。
 


お椀には優雅に鶴が舞う

 
あいちやで仕事をしたことがある料理人は、後になってよく岩井さんに「あいちやには本当にいい器がたくさんあった。あいちやで仕事をしていた時には器のことで悩んだことなんかなかったですよ。それがどれだけすごいことか、ほかに行ってはじめて知りました」と話すそう。

こうした経営方針は、いらしていただいた方に美味しいものを食べて楽しく過ごしてほしいという思いが根底にあって続けてきたもの。それが自然に、あいちやの料亭としての格の高さにつながってきたのだ。