横須賀のソウルフード「のりだんだん」って何?
ココがキニナル!
横須賀に「のりだんだん」というソウルフードがあるけれど、いわゆる「のり弁」となにが違う?「のりだんだん協議会」というのがあるようなので、調査を!(たむたむたむさん)
はまれぽ調査結果!
のりが2段になっているから「のりだんだん」。認知度、回顧度は、横須賀市内でもばらつきはあり、正確な発祥は不明
ライター:やまだ ひさえ
「のりだんだん」をご存じだろうか? 横須賀市を中心に三浦市でも知られているお弁当の一つだ。
これが「のりだんだん」弁当
一見、何の変哲もない「のり弁」に見えるが、さにあらず。横から見ると一目瞭然なのである。
ノリが2段になっている
ご飯、ノリ、ご飯、ノリと重ねて、2段になっているから「のりだんだん」なのである。
三浦市で生まれ育った筆者にとっては、子どものころからの定番だが、はまれぽ編集部で聞いたところ、「なに、それ」という答えが返ってきた。
そんなに珍しいものなのか。
「のりだんだん」に熱い情熱を傾けている「のりだんだん協議会」の大湊雄治(おおみなと・ゆうじ)さんに話を聞いた。
どうなんでしょう、大湊さん
大湊さんは、猿島(さるしま)海畑活性化研究会のメンバー。猿島ワカメを使った「猿めん(さるめん)」の販売を手掛けている。
2012(平成24)年10月、研究会のミーティングの最中に「のりだんだん」の話題に。盛り上がる地元メンバーの中、千葉県出身のメンバーの1人から「のり弁じゃないの?」という声があがった。
「のりだんだん」は「のり弁」ではない?
そのときの地元メンバーも筆者と同様に思ったらしく、友人、知人に電話をかけまわった結果「のりだんだん」は、横須賀市を中心にした地域のみの名前だと判明。
この疑問をきっかけに発足した「のりだんだん協議会」は、フェイスブックでメンバーを募り、「のりだんだん」の研究と普及が始まった。
協議会はまず、どのくらいの人が「のりだんだん」を知っているのかを調査するため「よこすか産業まつり2014」の会場でアンケートを実施。当時のことをメンバーの伊藤孝子(いとう・たかこ)さんが話してくれた。
自身も「のりだんだん」に強い思いがある伊藤さん
2014年の産業まつり (提供:のりだんだん協議会)
手作り「横須賀のりだんだん」弁当を販売 (同)
189名から回答があったアンケートの結果を見ると「のりだんだん」の形が見えてくる。
知っている人は多い
ほとんどが「好き」
協議会はアンケートをもとに「のりだんだん」の呼び名の分布を分析した「のりだんだん名称マップ」を作成。
緑が「のりだんだん」と呼ぶ地域、黄が呼ばない地域(同)
三浦半島の東海岸に広がっていることが分かる。
かなり広範囲に普及している「のりだんだん」だが、いつごろ、どこで誕生したのだろうか。横須賀市の市史編さん室と農林水産課で聞いてみた。
横須賀市役所
しかし、残念なことに「のりだんだん」の発祥については、年代も地域も記録に残っていないとのことだった。可能性として考えられるのは、江戸時代から漁業が盛んだった三浦半島で、漁師めしとして生まれた可能性はあるという。
ただ、大湊さんに興味深いことを教えてもらった。横須賀市出身の両親を持つ、作家の故・山口瞳(やまぐち・ひとみ)氏が書いた『血族』の中に「のりだんだん」の記述がある。
山口瞳著『血族』
その一説に「小学校時代の弁当は、毎日毎日、海苔段々だった。私は子供のときからノリダンダンと言い慣らしていたので、正式な呼称は知らない。(原文ママ)」とある。
のりだんだんが登場
1926(大正15)年生まれの山口氏が小学生だったのは昭和初期。母親は明治時代の生まれだ。このことから、明治時代には既に「のりだんだん」の名前で呼ばれていたのではないかと考えられる。
もう一つ、横須賀市走水(はしりみず)でノリ養殖を手掛けている菱倉水産の菱倉康美(ひしくら・やすみ)さんによると、戦前、浦賀ドッグに勤めていた菱倉さんのお父さんが、「のりだんだん」を持っていくと、同僚から「良い香りだ」と評判だったという。
戦前にもあった
「のりだんだん」は家庭の味だ。起源は不明だが、横須賀のソウルフードであることは間違いない。