京急線が三崎口駅から先の延伸を凍結した理由は?
ココがキニナル!
京急線の終点は、三浦半島内部の三崎口。でも、実は三崎港や油壷まで延伸の予定があったと聞きました。開発計画の詳細と頓挫の経緯について調べてください(bausackさん)
はまれぽ調査結果!
三崎口駅から三戸(みと)、小網代(こあじろ)を通り油壺まで延伸をする予定も、人口減少や地価の下落などにより2016年、凍結を発表。今後は未定
ライター:やまだ ひさえ
2016(平成28)年7月6日。京浜急行線三浦海岸駅で1つのイベントが行われた。翌7日に開業50周年を迎える同駅を記念した催しだ。
太田芳孝(おおた・よしたか)三浦海岸駅長から任命を受け、「なぎさイメージガール」の武田(たけだ)あやなさんが1日駅長を務めた。
太田駅長と武田さん
水着姿で三浦海岸駅をPR
三浦海岸駅が開業したのは、1966(昭和41)年7月7月。三浦市内で最初の鉄道の駅だった。
待ち焦がれた開業だった
開業当時の同駅(提供:京浜急行電鉄)
同駅の開業から2年後の1968(昭和43)年には、京急油壺マリンパークがオープンしたこともあり、地元では油壺まで、さらに三崎港まで路線が延長されるだろうと思っている人は多かった。
京急の施設がある油壺まで路線延長は確実だと思われていた
1975(昭和50)年4月26日には三崎口駅開業。路線は、油壺へと近づいていった。
三崎口駅と油壷地区の位置関係
次の駅への期待が高まっていた(同)
現在の三崎口駅
しかし、三崎口駅開業から41年を迎えた2016(平成28)年現在、路線は延伸されていない。
延伸計画凍結の経緯
京急は、2016(平成28)年3月、三崎口駅からの延伸計画の凍結を発表した。
三崎口駅ホーム。線路は油壺に向かって続いている
なぜ凍結に至ったのか。京浜急行電鉄株式会社総務部広報課の宮本幸彦(みやもと・ゆきひこ)主任に聞いてみた。
同社が京急久里浜線の延伸計画のために、横須賀市の堀ノ内(ほりのうち)から三崎間の事業免許を取得したのは1923(大正12)年のこと。
軍都・横須賀を抱えた三浦半島は旧日本海軍、陸軍の施設が多く、戦後になって延伸のための体制を整えることができた。
昭和30年代前半、延伸工事のために集められた資材(『ふるさと横須賀』より)
三浦海岸駅に続き開業した三崎口駅は、延伸計画のルート上でバスの乗り継ぎを考慮し、国道134号線と交差する場所に造られた。
国道134号線に面している
駅の目の前がバスロータリー
駅を開業する詳細な場所は未定だが、その後は三戸(みと)地区、小網代(こあじろ)地区を通り、油壷周辺まで延伸の予定だった。
しかし、京急は1970(昭和45)年に油壷~三崎間の免許を、2005(平成17)年に三崎口~油壺間の免許を取り下げている。
延伸は凍結された
凍結の理由について京急では、「鉄道用地確保を農地造成、区画整理事業などと合わせて行う予定だったが、事業の進捗に長期間を要することから、いったん免許の取り下げを行った。ただ、周辺地域の開発の進捗にともない、事業の収支などを再検討したうえで、再度、申請を行う予定だった」と回答している。
また、「2017年3月期を初年度とする経営計画の策定にあたり、三浦半島における人口減少や地価の下落などを踏まえ、三崎口~油壺間の延伸事業と、同区間内の三戸、小網代地区の土地区画整理事業などによる大規模宅地開発事業の凍結を発表した」としている。
三浦市の人口は減少を続けている(三浦市役所HPより)
地区別にみると、三浦海岸駅のある南下浦(みなみしたうら)地区や三崎口駅のある初声(はっせ)地区に比べ、駅のない三崎地区の人口減少が著しい。
三崎地区の人口減少は切実な問題だ
三浦市は、神奈川県の市では唯一の消滅可能性都市だ。
人口減少対策は、市全体で取り組んでいる課題であり、達成のために重要な役割を占める三崎口駅以南の延伸計画も、「三浦市都市計画マスタープラン」の中で重要課題として取り組んできた。
今回の京急の凍結決定を受け、市では「さまざまな機会を捉えて(延伸に向けて)働きかけていきたい」と回答している。
延伸計画凍結後も働きかけは続く